「人が嫌い」な人が仕事で生きづらいと感じる理由

人間嫌いだと仕事が上手くいかず生きづらい 仕事の悩み

「生きづらいなぁ、どうして自分の人生はこんなにも生きづらいんだろうなぁ……?」

これまでの人生で沢山の失敗をして、なんども挫折を味わってきた私だが、その度に感じる「生きづらさ」というのはなんなのだろうか?

発達障害からくる基本スペックの低さのせいだろうか?
確かに仕事を失敗するたびに凹んで仕事が嫌になる。

もしも自分がどんな仕事でもそつなくこなせる器用な人間であるならば、きっと少しは生きやすいだろう。

しかし、仕事ができたからといって、それでも私の生きづらさが無くなることがはない。

なぜなら、私の生きづらさを感じる大部分は「人が嫌い」であることに由来しているからだ。

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私は人を憎み過ぎている

私が仕事の失敗で感じるマイナス感情には2種類ある。

1つが「自分に対しての失望」であり、もう1つは「他人に対する怒り」だ。

自分に対する失望というのは「注意しているのに同じ失敗をしてしまう」「マルチタスクをしようとすると、頭が混乱してしまう」など、自身の欠陥が原因となる場合だ。

もちろんこれも「なんで自分はこんなことも出来ないんだ…」と落ち込んでしまうが、自分が原因なのだからまだ納得できる。(精神的には辛いことに変わりはないが)

これに対して、他人に対する怒りというのは「客が問題を起こした」とか「納得いかない理由で上司から責められた」「同僚が引き継ぎをしなかったせいでミスをした」など、他人が要因となって問題が起きたときだ。

これは自分の中で納得が出来ない分、精神的なダメージは前者よりも上である。

しかし、客や上司に対して「ふざけんな!てめえが悪いんだろうが!」なんて言えるわけがないので、心の中に無理やり怒りを抑え込むわけだ。

その怒りは消化されないまま、他人へのヘイト値がどんどん蓄積されていくのである。

余裕がないから些細なことも許せない

私には余裕がない。

他の人が簡単にやってることでも、こっちは全力じゃなければおっつかないのだ。

いつもいっぱいいっぱいであるが故、他人を許すことができない。

自分が原因の失敗を受け止めるだけで精神への負荷が限界なのに、他人が原因のものまで背負い込んだら間違いなく潰れてしまう。

スルーするなんて器用な真似が私にできるわけもない。

だから他人が原因で問題が起こったときは、憎しみ度合いがハンパない。

そして私は両極端だ。
「敵と味方」「白か黒」の世界である。

ちなみに私の黒判定は厳しい。

クレームをつけてくる客→「おまえ10回人生やりなおしてこいよ☆」

タメ口で話す客→「おまえ5回人生やりなおしてこいよ☆」

忙しいときに来る客→「おまえ1回人生やりなおしてこいよ☆」

ぐらいシビアである。

殆どの人を敵認定している。
オセロの盤面でいえば9割が黒の状態だ。

これで生きづらくない理由があるだろうか?
いや、ないだろう。

共感の喜びがない

人を憎みすぎてるせいで、他人と共感するということができない。

チーム一丸となって仕事をやり遂げて「みんな頑張ったぜヒャッホー!」みたいな?

いやないね、全くない。

うわべだけののコミュニケーション能力はあっても、心の共感能力が壊滅している。

これは人間社会に生きるうえで、とても痛い。

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「人間嫌い」の人生はハードモード

人と関わらずに生きるなんてのはまず無理である。

雇われ仕事をしているならばほぼ無理だ。

フリーだとしてもクライアントがいるから無理だ。

仕事に限らず、どこへ行っても何をしようとも、どのような形であれ人と関わってしまう。

それが人間社会で生きるということだ。

そこで「人が嫌い」「人が憎い」なんてバッドステータスを持っていると、本当に生きづらい。

逆に、どんなに不器用で、仕事で失敗ばかりしてしまうとしても、まだ人と関わる事に喜びを感じることができる人なら、救いの道は残されているのだろう。

人間あっての社会である。日本だろうと海外だろうと、人間がいるのだ。
嗚呼…ワールドワイドに生きづらい。

そもそも、どうして私がこんな人間嫌いになったかということは別の記事に書いているのでそちらを見て欲しい↓

自己愛性人格障害者が他人に感じるのは「不安・怒り・拒絶」である
このブログを読んでいる皆さんは人付き合いが得意だろうか? 尋ねておいてなんだが、そんな社会適正の高い人間がこんなブログを読むことはないだろう。 おそらくは人と上手く付き合えない。 折り合いがつけられなくて苦しい思いをしている。 ...

どこに逃げようが私たちは他人に影響されてしまうのである。

ほんと生きづらいなぁ

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