何度も転職する人を「自分探し(笑)」と馬鹿にする奴は何様ですか?

転職を繰り返す人を「自分探し」と馬鹿にする奴は何様ですか? 就職・転職

突然だが、「自分探し」って言葉にモヤッとしたものを感じないだろうか?

私は感じる。モヤモヤである。

なんだろう、自分探しって言葉の後ろに(笑)が付いているのが見えるというか。

むしろ人を馬鹿にするために使ってるとすら思える。

転職をしたら「いつまで自分探しをするつもり?」みたいなことを言われてモヤッとするし、一人で旅行したら「自分探しの旅ですか?」みたいなことを言われて、またモヤッとする。

いやもうモヤッじゃ済まないね、イラッとするね。

今回は、私的にモヤモヤするワード上位ランクの「自分探し」について書きたいと思う。

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頻繁に転職する人を「自分探し」と罵る人は何様ですか?

例えば、就職したけど、仕事が向いてなくて失敗の連続だったとする。

職場の人間関係が上手くいかずに馴染めなかったとする。

そんな毎日に酷いストレスを感じているとしよう。

そうしたら当然「この職場は自分に合ってない」と思うわけだ。

けど、すでに転職は何度目になるかも分からないぐらい繰り返しているから、周りからは「いつまでも自分探しばっかりしてるんじゃないぞ」と言われるわけだ。

けどさ、自分を探すために仕事辞める人ってそんなにいないのではないか?

転職を繰り返す多くの人たちが探しているのは、自分なんて曖昧なものではなく、苦しまずに働ける職場である。

そりゃあ最初からやる気がなくて嫌になったから辞めるという人間もいるだろう。

しかし、このご時世で、最初から辞めるつもりで必死に就職活動をする人の数よりも「次こそは長く働きたい」と意気込んで、頑張ってみて、けれどやっぱり上手くいかなかった。

そんな人の方が多いのではないか?

適正が低い人間の苦悩を知らん奴らめ!

人は平等ではない。

上位には「どんな仕事でも難なくにこなせる人」もいれば

中位には「頑張れば出来るようになる人」もいる。

しかし下位には「適正が低くて努力じゃどうにもらない人」だっているのだ。

それは体力面であったり、ストレス耐性だったり、記憶力、思考力、なんやらかんやら色々なもののうち、平均以下の項目があると、それだけで、平均を求められる社会を生き抜くのがしんどくなる。

全てを努力や忍耐で片付けるのは、高い適正をもつ人間の傲慢である。

誰だって、辞めるのが好きで辞めるわけじゃないのだ、辞めざるをえないから辞めるのだ。

けれど転職したからといって、運良く適正に合った職場が見つかるわけじゃない、たとえ同じ業種であったとしても、その会社を構成する人間の質によってはストレス耐性がない人間には過酷な職場である。

もうそうなったら、転職を繰り返すしかないだろう?

たまたま高い適正値を持った人間が、たまたま自分の適正に合う職場にいるだけで、偉そうに他人のことを自分探しなんて言ってんじゃねえぞ、と私は言いたい。

「自分探し」の使い方がおかしい

自分探しには2種類ある。

目の前の現実が嫌でそこから逃避するための「自分探し」と

目の前の現実をどうにか変えたくて何かを求める「自分探し」だ

同じようだが、変化を求めているという点で、この二つは全くの別物だ。

それをひとくくりにして「自分探し(笑)」みたいな使い方をするのが間違っているのだ。

いやもう「自分探し」という言葉自体に欠陥があると言ってもいいだろう。

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自分で「自分探し」と言う人もどうだろう?

自分で「自分探しの旅に行ってきました!」という人もどうかと私は思う。

「自分が分からないから自分探しの旅にいって自分を見つけてきます」

意味がわからん。

こんな曖昧な表現を使うから、どうせ適当に旅行に行って遊んできただけだろ?みたいな感じになるのだ。

「適正に合う仕事が分からないので自己分析に必要なサンプルデータを集めるため、様々な場所や色々な物を見て、それによって感性を刺激し、新しい発想の着眼点を見つけてきます」というのが正しいのではないか?

というか、社会科見学で色々な職場めぐりをするならともかく、漠然と旅をしても自分がなんの仕事に向いてるかなんてわるもんなのか?

別に気分転換で旅行するのもいいさ、見知らぬ土地で感受性を刺激されればいいさ、だがそれを自分探しとか言うのは、こっちまで一人旅するのが恥ずかしくなっちゃうからやめてください!

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自分を探さなくなった人間てどうなの?

あえてモヤッとしながら「自分探し」という言葉を使う 。

自分を探さなくなった人間てなんだろう?

それって今の自分に疑問を持たなくなるということではないのだろうか。

悟りの境地に到達したのか、はたまた今の自分を完成した存在だと思っているのか。

どちらにせよ、現状のまま変化しなくなるということだ。

価値観も思考も固定される。新しいことが考えられなくなる。変化を受け入れられなくなる。

それっていわゆる「老害」ってやつじゃないだろうか?

逆に言えば、変化する人は無意識に新しい自分探しをているのだ。

「自分探し」なんておかしな言葉を使うからモヤッとするだけで、自身の変化を求める、新しい自分を求める、それが「自分探し」でなくてなんなのか。

ならいいじゃない!自分探し続ければいいじゃない!

(けど自分探しって言葉を使うたびに胸の奥がモヤモヤするからあんまり言いたくない)

特に私たちのような弱い立場の人間は、上手くいかない人生を諦めず、悶えながらも「自分探し」をしなければ自分らしく生きていけないのだ。

自分探しとは生きることと見つけたり!

なので「他人がやることにガタガタ文句つけてる奴はうっさいんじゃ黙ってろボケェ」である。

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