否定から入る人はうざい!なんにでもケチをつける人の特徴

4コマ漫画:否定からは入る人はうざい! 人間関係

こちらが何か言うと、まず否定から入る人がいる。

それは職場の上司だったり、友人だったり(まあ私に友人はいないが)、親だったり…

相手が真剣にやろうとしていることにさえ「そんなの上手くいくはずない」と言ってくる。

じゃあ、その否定にはどんな根拠があって、そこには相応の責任感はあるのか? といえば、そんなものはないのだ。

多くの場合が、自分が気に食わないことを無責任に否定しているだけである。

今回はそんな「否定から入る人」「なんにでもケチをつける人」について、私が日頃から溜め込んでいる鬱憤を吐き出すためにも書こうと思う。

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無責任な批判家にイラッとくる

たとえば会社で新しい商品を企画したとして、それが当たる確率と外れる確率、どっちが高いかといえば、圧倒的に外れる確率のほうが高い。

とりあえず「あれは失敗する」と言っておけば、まあ失敗する確率の方が高いから「ほら私の言った通りでしょ?」とドヤ顏になれるのだ。

しかも「あれは成功する!」と言って失敗すれば、そこに言葉の責任が発生するが、「あれは失敗する!」と言ったものが成功しても、責任は取らなくていいからリスクがない。

仮に成功しても、自分は最初から否定なんてしてませんでしたよ? みたいな、素知らぬ顔で煙に巻こうとする。

失敗を予想するなんて誰にだってできることなのだ。

批判家を気取るなら「もしもこれが成功するなら土下座する!」ぐらいの宣言をして欲しいものだ。でなけりゃ黙ってろである。

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世間話で否定から入る人は本当にうざい

日常のちょっとしたところでも否定から入る人がよくいる。

たとえば、ちょっとした世間話のつもりで話を振っても、それに対して「いやそれは違う」みたいな否定系で返す人だ。

そういう人を前にするともう「コイツめんどくせぇ!」と思わずにはいられない。

こっちは別に討論がしたくて話をふってるわけではないのだ。

場を繋ぐために軽く話をふっただけなんだから、話の中身なんて重要ではないのである。

だいたい世間話なんてのは、さして重要でもない話を肯定しあうことで、風船に空気を入れるように膨らませていくものなのだ。

重要なのは、ノリ!リズム!肯定!相づち!

それをいきなり「えっ、そんなことないと思いますよ?」みたいに否定なんかしたら、話が膨らまねぇだろうがぁぁぁぁぁぁ!

というのが、私が働く職場の面倒くさい上司に対して、日々思うことである。

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否定から入る人は「自分は正しい」と思い込んでいる

まず、ここでいうところの、正しさとはなんなのか、ということだ。

それは間違っても、世間話の真偽をはっきりされることではない。

誰もそんなことは望んでおらず、ただ楽しくお喋りをしたいだけなのだ。

けれど、否定する人(名称を「否定人」としよう)は、そこに考えが向かないのだ。

ともかく、自分の知識を見せつけたいだけで、それさえできれば否定人は満足なのである。

けど周りの人はぜんぜん楽しくない、否定人のせいで場の雰囲気は悪くなってしまった。

けど、否定人はそんなこと気にしない。

「正しいことを言った自分は正しい」それだけなのだ。

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知識を披露したいだけのステレオタイプ

ネットで仕入れた知識を、やたらとひけらかそうとする人も否定人になりやすい。

そういう人の特徴は「自分で思考しないステレオタイプ」である。

ネットやテレビに流される偏った情報を鵜呑みにして「これが世界の真実だ!それを知ってる自分は情報強者だ!」と思い込んじゃってる恥ずかしい人である。

そういった恥ずかしい人に限って、周りにそれを言いふらしたくてたまらないのだ。

ことあるごとに、他人の言うことやることにケチをつけてくる。

偏った視点でしかものごとを見ることができない。多面的にものを考えられない残念な人間である。

ネットの掲示板なんて無責任な批判家の巣窟である。

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相手を認められる人間になりたいものだ

当たり前のことだが、人を肯定できる人間は好かれる。

そりゃあ誰だって否定されたら嫌な気持ちになるし、肯定されたら嬉しいものだ。

けど、自然に肯定できる人間はあまりいない。

相手を素直に認めるというのは、想像したよりも難しい。

「負けた気になる」とか「なんか悔しい」とか、くだらない自尊心が相手を認めることを邪魔するのだ。

これが自然とできる人は、よほど自分に自信がある真っ直ぐな精神の持ち主なのだろう。

ねじ曲がった精神の私には無理な話だが、それならせめて黙って傍観しようというのが私のスタイルである。

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