「親・仕事」の意味は人によって違う、他人の価値観を否定してはいけない

価値観の違いを否定してはいけない 考えかた

最近読んだ本に『ことばと文化』という言語学の入門書がある。

言語学について話したいというわけではないので、細かい内容は割愛するが、この本には、普段わたしたちが意識していない「ことば」の性質について書かれてる。

その中で興味深かったのは、ことばの「定義」と「意味」は別物だ。という話しである。

「定義」とは全ての人に共通した項目、要するに国語辞典に載っているような説明である。
たとえば「」の定義を辞書で調べると下記のように記載されている。

(親)子を生んだ人。父と母の総称。

出典元:コトバンク

親の定義を人に説明するとしたら、みんな同じようなことを言うだろう。

しかし「親」の意味を説明するといった場合、そうはならない。
本書においては「ことばの意味は説明できないもの」とされている。

なぜかといえば、ことばの意味は個人の経験や価値観によって違いが生じるからだ。

「あなたにとって”“とはなんですか?」と質問されたとき、幸せな家庭で育った人と、残念な家庭で育った人では回答が違うはずだ。

  • 幸せな家庭の子供は「親は良いもの」と感じる
  • 残念な家庭で育った子供は「親は悪いもの」と感じる

親の定義は共通していても、親の意味は人によって異なる。
「そんなのは当たり前だ」と思うだろうか?

しかし、だとしたらどうして人は言い争いをするのか、どうして相手の価値観を否定しようとするのか。

私たちは無意識に「自分にとっての意味は絶対的」だと思い込んでいるのではないだろうか?

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他人の価値観を否定するのは人間の本能?

意味を人に説明することはできない。

なぜなら、それは誰かに教えたられものではなく、自らの経験によって学習した結果だからだ。

価値観も同様である。
価値観を他人に説明することも、また他人の価値観を理解しようとすることもできない。

なぜならそれは、自分が感じてきたことから生まれたものだからだ。

それが「仕事」だったとしても、やはり人によって意味は違う、だから働き方だって人それぞれだし、目的だって違う。

それは人によってことばの意味が違うだけであり、他人の持つ意味が「正しい」とか「間違っている」と考えるのは根本的におかしいのだ。

別世界の価値観だと理解しよう

人は違う価値観をもつ人を敵視する。

別に誰がどんな価値観をもっていようと、それは個人の自由なはずなのに。

違うものを否定しようとする。

そして否定された人は、否定しかえそうとする。

否定して、否定されて、否定し返して。

なぜだろうか?

違う価値観があるということに危機意識を感じ、否定しないと自分の価値観が揺らがされるからだろうか?

価値観の違いは世界の違いである。

人の数だけ世界があるのだ。

それを統一しようなんて、はなから無理な話しである。

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人の価値観を否定しても自分が傷つくだけ

いくら人の価値観を否定したところで、それで何が変わるというのか。

何も変わらないどころか、ささくれだった心で自分が傷つくだけだ。

理解することはできないし、否定しても意味がない。

違う価値観を間のあたりにしても、無理に否定せずに放っておくべきなのだ。

多くの人が、別に否定されたわけでもないのに、違う価値観を示されただけで反射的に臨戦態勢をとってしまう。

無益な争いは避けよう。

違う価値観があったところで、それは別世界の話しである。

他人の世界にちょっかい出すより、自分の世界を大切にしよう。

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