毒親が子供を縛るために使う「家族だから」は鬱陶しい歪んだ言葉

鬱陶しい毒親が子供を縛る 人間関係

私は「家族だから」という言葉に反感を覚える。

年末なんかで、帰省の話になったとき、私が「実家には帰らないよ」と言えば、周りからは「家族なんだから年に1度ぐらいは合わないとダメだよ」なんて言われるわけだが…

はぁ?

と思ってしまう。

とりあえず「家族だから」と言っておけば、なんでも許されるような風潮に、私はときおり憤りを感じてしまう。

私の中で、「家族だから」という言葉は何の意味も持たないなのだ。

人が自分以外の誰かと一緒に居たいと思う条件とは?

一番簡単で分かりやすい答えは「一緒にいると楽しい」と感じさせてくれる人であることだ。

なんらかのプラスの感情を与えてくれる人だから、一緒に居たいと思うのが自然の流れである。

そこにきて「家族」が無条件にプラスの存在だと言わんばかりの「家族だから」コールである。

全く気安く言ってくれる。

思考停止をしている人たちは、ちょっと「家族」ってものを気安く考えすぎているんじゃあないだろうか?

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「家族」=「大切な存在」ではない

「家族」というのは親と子供によって構成された集団の名称でしかない。

大事なのは集団構成する個々の存在である。

「家族」だから大切なのではない。

自分にとって大切な人で構成される集団であってこそ、それは大切な「家族」となりえるのだ。

家族は無条件に大切という風潮が嫌い

私にとっての家族とは「一緒にいてもマイナスになる人」の集まりなのである。

けど昔から「家族なんだから」「家族を大切にするのは当たり前」みたいな風潮じゃないか。

それをすんなりと受け止められる人は、なるほどきっと素敵な家族に囲まれて幸せに育ったのだろう、それはとても素晴らしいことだと私も思う。

けれど、家族と居て幸せじゃなかった人も世の中にはいるのだ。

9割の家族が円満で、1割の家族がぶっ壊れていたとして、9割の幸せさんたちは「家族ってすばらし〜」と言ったとして

だから残りの1割も家族を大切にしろというのは道理から外れている。

それが例え少数派だったとしても、当事者が家族から受けた苦痛、苦悩、苦悶、それらは他人に理解できるようなものではない。

家族とは「人」の集まりでしかない

先述したが、家族を構成するのは「人」である。

構成する「人」の良し悪しによって「家族」は良くも悪くもなる。

「家族だから」は、本質である「人」を無視する歪んだ言葉だ。

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「家族」の価値を決めるのは積み重ね

ここまでの話をまとめよう。

まず私は「家族だから」という言葉が嫌いだ。

けれどそれは「家族」を否定するものではない。

世の中には「大切な家族」と「不要な家族」がある。

家族が大切かは、親子が歩んだ道程で積み重ねられた行為の良し悪しで決まる。

それを一緒くたにして「家族だから」というのがおかしい。

毒親に「家族だから」という資格はない。

である。

私には無理だったが、これを読んだ人には自然に大切と思える家族関係を構築してほしいものだ。

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