他人の目が気になる?世間体を気にして見栄をはっても生き苦しいだけ!

世間体を気にしすぎると息苦しい 考えかた

多くの人は世間体を気にしながら生きている。

こんな凄い仕事をしているとか、これだけお金を稼いでる、こんな立派なところに暮らしてる、こんなに沢山友達がいる。

そうやって周囲に自分を凄く見せることで、周りから「すごーい」と言われたい。
自分が優れた人間だと思われたい。

そうした承認欲求は誰にだってあるものだ。

自分を高めるためにも、ときには格好をつけることがプラスになることもある。

しかし、実際のところ人にはそれぞれの分相応というものがあり、望めば誰もが、周りから憧れられるような生き方なんてできやしない。

周囲から憧れられる存在というのは、それに見合うモノが本人に備わっているから、構えたところもない自然体である。

逆に分不相応な承認欲求をもつ人間は、己にメッキを貼って、周囲に自分が凄い人間だと見せようとするので、いつか無理が出てメッキが剥がれてしまう。

無理して見栄のメッキを貼り続けていきることは、幸せなことだろうか?

スポンサーリンク

他人の目を気にするから不幸になる

自分を良く見せようとするのが、悪いことだとは思っていない。

しかし「分不相応に自分をよく見せようとしてもしょうがない」ということである。

「あの人はあんな生活をしているのに、自分は……」
「こんなんじゃ周りの人に馬鹿にされてしまう……」

こうした考えは、他人の目を基準にして、自分の幸福を計ることがそもそもおかしいのだ。

周りの人にできていたとしても、自分にはできないんだからしょうがないのだ。

周りの人に馬鹿にされるから見栄をはるというなら、それは不相応な人間関係ということだ。

というか、それで人を馬鹿にするような人間なんぞと、どうして繋がっておく必要があるのだろう?

そんな人間関係はとっとと捨ててしまったほうがよい。

「自分」は「誰か」ではない

誰かのように稼いで、誰かのように暮らして、誰かのように人と繋がって、なんてことを考えたところで、そうはなれない。

それであなたが惨めな気持ちになっているとした、そうしているのはあなた自身だ。

重要なのは「自分にできることで何を成すか」である。

「自分はこれでいい」という独自の基準によって、分相応の幸せを手にすることができるはずだ。

スポンサーリンク

見栄を捨てる

あなたが幸せに必要だと考えることに「なんで?」を繰り返してみるといい。

例えば「お金を稼ぐこと」を幸せの基準としている人は、逆に、どうして給料が低いと幸せではないのか?

好きなものが買えないから? 綺麗な家に住めないから?

それじゃあ、なんで好きなものが買えないと、綺麗な家に住めないと、幸せではないのだろう?

この「なんで?」を繰り返していったとき、最後に「馬鹿にされるから」とか「恥ずかしいから」といった、他人の目を基準にした理由が出てくるなら、あなたは承認欲求に囚われているのかもしれない。

生き苦しさに悩んでいるのであれば、一度その見栄を脱ぎ捨ててみることをオススメする。

コメント