「人から感謝されても嬉しくない」人が喜びを感じる方法とは?

人の幸せを喜べる人は幸福度が高い 人間関係

あなたは人から感謝されることに価値を見出すことはできるだろうか?

金銭による報酬と違い、人が喜ぶ姿や感謝の気持ちには値段をつけることができない、そこにある価値は当人が決めることである。

人によって無価値になることもあれば、逆にお金に換えることことができない価値にもなる。

別に、どちからが正しいかという話ではないのだが、人生で幸せをより多く感じることができるのは圧倒的に後者だと言える。

そして、当然ながら私は前者「人から感謝されてもなんも嬉しくない人」であるため、接客がメインのサービス業なんかにはまるで向かない。

「人は人、自分は自分」がスタンスであるがゆえ、人の喜びを自分の喜びに置き換えることが全くできない。

もちろん「ありがとう」と言われれば悪い気はしないのだが、それがモチベーションにはならないのだ。

そういえば昔、仕事でとあるサービスに関わっていたとき、利用者から高評価を得られたことがあった。

一緒に仕事をしていた人たちは嬉しそうにしていたが、私は、自分の仕事に不備がなかったことに安心しつつも、それを利用した人間がどう感じるかなんてことには全く興味がわかなかったので、感謝のコメントを貰ってもなんにも嬉しくなかった。

ここで、人の喜びに価値を見いだせる人との幸福度合いに差がつくのだ。

もしも感謝されることを喜べるならば、仕事のやる気も増すというものである。

たとえ給料がそれほどよくなかったとしても、頑張りに見合う報酬を人の喜びから得ることができるというものだ。

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自己満足でも幸福は感じたもの勝ち

見返りを求めずに誰かのために尽くすことを「無償の奉仕」というが、そこに金銭が絡んでいないだけで、そういう人は他人の喜びによって満足感を得ており、それが報酬としての働きをしている。

それが真に善意であっても、自己陶酔だとしても、彼らの幸福度は高い。

お金による報酬は貰っていないのに、お金を貰う以上の報酬を自分の価値観によって生み出しているのだ。

存在しないものにお金以上の価値を与えるとか、とんでもない錬金術(偽)である。

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他人の喜びに価値を感じない人はどうすればいいの?

それじゃあ私たちのような他人に無関心すぎる人種はどうすればいいか。

まず大きな原因は「人に興味を持っていない」ということである。

人に興味がないから、相手が喜ぼうが泣こうがしったこっちゃないのだ。

他人と自分の間に明確な境界線を引いてしまうと、相手がどうしたところで「あっち側」として処理してしまう。

だから、自分には関係のないことではなく、相手の喜びや悲しみが自分と関係のある「こっち側」なのだと認識できるようにならなくてはならない。

とは言っても、そう簡単に人って変われない訳で…

理屈では分かっていたとしても、それができないから困っているわけで。

私くらいの捻れ方をしているもう手の施しようがない!

そういう人は、残念ながら他人との関わりに幸せを求めるというのは諦めたほうがよろしい。

まあまあ、自分はそういう生き物だと思ってスッパリ割り切って考えることも大切なのだ。

それじゃあ、喜びを感じるにはどうすればいいかといえば、己の内側に求めるしかない。

他人との関わりから喜びを感じる人とは真逆の思考である。

自己の内面を昇華させることに喜びを感じるのだ。

そこには自分しかおらず、自分を見て、自分を感じ、自分と対話し、自分を高める。

世界には自分しか存在せず、自分のために世界がある。

まさに自分マニア、自分を極めることでしか幸せを得られないのである。

そんなの生きづらくない?

とても生きづらい。

しかし私にはそれしかできないのでしょうがない。

「こんな生き方は嫌だ!」と思う人は、人との関わりを大切にいたほうがよい。

私には、これ以上どうすればいいのか分からないのだが……

「それでも私は人との関わりで幸せを感じたい!」という人は、とりあえず聖書とか読んだり賛美歌を歌ったり踊ったり、ときにはご町内の平和を守ったりすれば、胸の内側に喜び的なナニかが、フワッといい感じにアレするんじゃなかろうか?

後は各自のフィーリングでよろしくお願いします。以上

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