価値観の違う人と一緒に居てもストレスを感じて疲れるだけである

違う価値観の相手にストレスを感じる 人間関係

世の中には様々な主義主張を持った人々が暮らしている。

中には相反する価値観を持つ人もいるだろう。

最近では多くの違う価値観に対する理解を深めようという取り組みがみられるが、はっきりって自分と違う存在を理解することなどほぼ不可能である。

いや、理解しようとする姿勢はとても大切だ、それは今後とも持ち続けていてほしい。

しかし、理解するよりも前にまずやることがあるのではないだろうか?

それは「相手を否定しないこと」である。

複数の意見を持つ人間が集まったとして、そこで問題が起きるのは、相手を理解できないからではない。

理解できない相手を否定しようとするからである。

仮に自分とは全く異なる意見の持ち主だったとしても、否定しなければ争いにはならない。

もう一度言うが、理解できないことが問題なのではなく、他人を否定するから問題が起こるのだ。

それだというのに、何故か人は自分の理解できないものを徹底的に否定しようとする。

別に危害を加えられたわけでもないのに「自分と違う」というたったそれだけのことが許せないのだ。

それじゃあ相手の価値観を受け入れれば解決かと言えば、最初からそれができていれば苦労はしていないだろう。

そもそも、違う価値観を受け入れるなんてはなから無理なのである。

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違う価値観を理解するなんて悟りでも開かなきゃ無理

価値観の違いによる社会的な問題はニュースでも数多く取り上げられている。そうしたことに理解を求める活動もされている。

しかし、そもそも「理解」とはなんだろう?

「そういう人もいていいと思う(ただし共感はできない)」というのは理解したということだろうか?

それって、否定はしないけれど理解もしてない。単に無関心になっているだけである。

けれど、共感できずとも相手を否定していないのだから争いは起こらない。

つまり無関心こそが正解」なのだ。

体裁的に「理解」という言葉を使っているが、本当の意味で違う価値観を理解するなんてのはどだい無理な話である。

理解せずとも否定さえしなければ問題は怒らない。

つまりお互いの領域に踏み込もうとしない無関心さが必要なのだ。

その人間関係は本当に必要か?

人との繋がりは大切であるが、繋がることに囚われてはいないだろうか?

生きていく都合上、完全に人との付き合いを切るというのは難しい話だが、あなたの数多を悩ませる人間関係は、本当に必要なものなのだろうか?

他人と関わろうとしない人間は、周囲の人から「変わり者」「おかしな奴」という目で見られがちなのも確かだが、もしも世間体のためだけにストレスに苦しめられながら人付き合いをしているなら、そこまでして維持すべきものなのかをもう一度考えてほしい。

友達は多い方がいい?

友達がたくさんいることがステータスと考える人は意外なほど多い。

Twitterのフォロワー数が自慢という人もいる。

それが快感であるなら止めはしないが、価値観の違う人に合わせて一緒に居る必要って本当にあるのだろうか?

1人でいるときでも価値観の合わない相手のことがいつも頭よぎってしまい、苛立ちを感じる。その人との嫌な記憶ばかりが繰り返し再生される。

それはつまり、あなたはその嫌いな相手に貴重な時間を奪われ続けているということだ。

自分が苦しい思いをしてまで人と繋がる必要がどこにあるのか?

もしも今、あなたが人間関係に悩まされているとして、それを断ち切れない理由はなんなのか客観的に考えてみると、そんな大層な理由はどこにもないのではないだろうか?

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価値観の違う人と無理して関わる必要はない

人が違う価値観の相手を攻撃するのは本能である。もうどうしようもない。

同じ価値観の人と一緒にいれば楽しいし、違う価値観の人といるとストレスを感じる。

そして、価値観には多数派と少数派がいる。

大勢で居るのが好きな人は、たいてい多数派の価値観を持っている人であり、少数派にはそもそもグループなんて作れない。

私たちのような少数派が多数派の中に混ざってしまえば、どうしても居心地が悪い。

だから関わらないのが正解なのである。

無理して違う価値観の集団に馴染もうとしてはいけない。

人との繋がりを捨ててはいけない?

それは本当にあなた自身が思っていることなのか、それとも世間体から出た言葉なのか。

断言してもいい。

価値観の合わない人との繋がりは捨てるべきである。

人を枠にはめようとしたり、逆に自分を無理に枠にはめようとすることに、なんの意味があるのだろうか。

そこであなたが得るものは、疲労や怒りによるストレスぐらいなものである。

そんなものを得るために、あなたは「貴重な時間」と「心の平穏」を代償として支払っているということを忘れてはいけない。

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