「他人の目が気になるせいで本当の自分を出せない…」他人の目を気にしない方法とは?

他人の目を気にして見栄を張る日本人 考えかた

人は周囲からの視線を気になるものだ。
周囲に関心をもつことや、人からどう思われているかを気にするのは、集団社会で生きるために必要なことなのだろう。

しかし、あまりに他人の目を気にしすぎているせいで、本来の自分より大きく見せようとしていないだろうか?

そのせいで常に気を張って生き苦しく感じているのなら、自分がどうして他人の目を気にしているのか知らなくてはならない。

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「良い人に見られたい」という欲求を捨てる

周囲からの評判を全く気にしないというのも問題になるが、何をするにしても他人を基準にして考えるのはよろしくない。

服を買うときも「本当はコレが好きだけど、周りのうけが良さそうだらかこっちにしよう」とか。
「趣味でアレを始めたいけど、周りからマニアックな人間だと思われたくないからやめておこう」など、行動を選択するときに自分よりも他人を優先してしまうのは違うだろう。

自分の人生なのに、どうして他人を基準にしなければならないのだろう?

やりたいことがあるならやればいいし、たいして欲しくないものよりも、本当に欲しいものを手に入れたほうがいいだろう。

他人を基準にする社会の風潮

「周りと違うのは恥ずかしい」

「周りもやってるのだから我慢する」

「周りよりお金を稼ぐ」

「周りより偉くなる」

一度は言われたことのあることではないだろうか?

これらすべてが他人を基準として考えられている。

周囲の人間と違うことをするのは駄目だといわれながら、周囲の人間よりも上に立ちたいという願望をもつというのは滑稽である。

協調性を身につけることを目的とした教育なのだろうが、結果的に出来上がったのは異分子を排除したがる日本の村社会そのまんまである。

人に合わせることを当たり前だと刷り込まれている

皆んなと同じことをするのが良いことだと刷り込まれた多くの人は、それが仕事であっても、「人に認められない仕事は悪いこと」と考えるようになる。

逆に言えば、人にさえ認められればどんなこともで羨望の眼差しで見る。

そこに自分の価値観があると言えるのだろうか?

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他人の目を気にして生きるぐらいなら関係を捨ててしまえ

「友達から馬鹿にされたくないから」とか「周りから見下されたたくないから」という理由で、本当の自分を出せずに苦しい思いをするなら、そんなものは捨ててしまったほうがマシである。

「人との繋がりは大切」と言うけれど、そんな不健全な繋がりを維持するために、周りの視線にビクビクしながら生きることの何が大切なのだろうか?

むしろ私は孤独であることを異常に恐れ、薄っぺらな繋がりに固執する人たちが気持ち悪くて仕方がない!

そこでどうして一人が嫌なのかと聞けば「ボッチと思われたくない…」とかいう人がいるのだが、人の目が気になるという理由で人と繋がっているのに、人の目が気になって生き辛いとか馬鹿なのか!?

もうそんな拗れた繋がりは捨てちゃいなさいよ。

生き辛いなら周囲の評価など捨ててよい

本当は気が合わないグループだけど、周りと上手くやっていくには嫌々でも協調しないといけない。

本当は興味ないけど、皆んながやっているから自分もやる。

器用な人間はのらりくらりと上手くやっていけるのだろうが、私たちのような不器用人間は、ここに生きづらさを感じてしまう。

息苦しいということは、生きる世界が違うのだ。

周りに合わせて無理したところで、自分が幸せになることなどありはしない。

「ここは自分の居場所ではない」と感じたなら、たとえ孤独になったとしても、自分の生きやすい場所へと移るべきではないだろうか?

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