歪んだ性格を治す方法は自分を客観的に比較することである

曲がった性格の治し方 考えかた

性格が悪い。捻くれている。人に嫌な事を言ってしまう。

自分の性格が歪んでいることはなんとなく自覚していて、よくないことだと思っているけれど、どうすればこの性格を直せるのかわからない。

そんな悩みを抱えている人は多いはずだ。
私も、自分の性格に疑問を感じて「どうしてこんな風になってしまうのだろう…」と悩んでいた時期があった。

そこで気づいたのは「自分のおかしさ」を自覚していなかったということだ。

自分の性格に悩んでいるとしたら、その悩みの本質がどこにあるのかを理解しなければならない。

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自分の「おかしいところ」を自覚しなければならない

例えば、怒りっぽい性格をなんとかしたいと考えている人であれば、怒っているときの自分が周りの目にはどういう風に映っているのかを自覚しなければならない。

なんとなく「自分は怒りっぽい」と認識していても「ゆうてもちょっと怒りっぽいだけで別に異常ってほどじゃないよね?」みたいに甘く考えていないだろうか?

自分と他人では、そこにかなりの温度差がある。

自分では怒るのが当然だと思っていることが、周りから見たら「この人なんでこんなことでブチ切れてんの…ヤダ怖いんですけど」

というぐらいの認識差がありえる。

自分がそれを許容してしまっていては、その性格に歯止めをかけることなんてできない。

自分がどれくらい「おかしい」のかを自覚することが性格改善の一歩目である。

自分に「ドン引き」できるようになろう

おかしな人をみたとき「うわぁ、ドン引きだわぁ」と思うことがあるはずだ。

人に対してはそんな風に思えるけど、自分に対して甘いのが人間というもの。

自分の行動に「うわぁ、まじかよ私、ドン引きだわぁ」と思えるようになることで、理性が衝動を抑えてくれるのだ。

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完璧を求める必要はない

「常に前向き、笑顔を絶やさず、人を妬まず、怒らず、悪口を言わず、見返りを求めず、人に優しく、親切に、謙虚に、誠実に、ひたむきに、人を認め、人を許し、人を尊敬する」

そんな人間になれるものならなってみたいものだが、それは無理というものだ。

性格というのは個性である、その人の性質である、クセがあって当たり前なのだ。

だから完全無欠な性格なんて望む必要はない。

例えば「人に嫉妬をする性格をやめたい」と願ったところで、自分より優れた人を見たら嫉妬してしまうのは人間の性質というものだから、多少は仕方がない。

強制が必要なのは「嫉妬しすぎて物理的に攻撃してしまう」ような、異常部分だけである。

無理に人に合わせようとしていないか?

周りから良く見られたいという気持ちは誰にだってあるが、世間一般で良しとされているから「自分はこうなるべきだ」と考えてはいないだろうか?

それで自分が幸せになれるなら良いが、無理して演技をしたところで、辛くなるのは自分である。

性格には「受け入れるべき箇所」「矯正するべき箇所」に別れる。

前者は自分自身を構成する土台、生まれ持った性質だ。
それは簡単に変えることができないし、そもそも変える必要がないのかもしれない。

後者は変えるべきものだ。
それは、人間生きていれば嫌なことがたくさんある、そういった経験で性格がささくれだってねじ曲がってしまうこともあるだろう。

そうした、後天的におかしくなった性格は直したいところである。

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発達障害の可能性

「落ち着きがない、自己中心的、無関心」

どれも性格とみなすことができるようなものだが、ときにはアスペルガーやADHDなど発達障害の疑いもある。

そうなってくると、意志力だけでどうこうできる問題でもないし、それが原因で悩みをこじらせて鬱のような2次障害に発展することもある。

極度の心配性が実は社会不安障害だったということもある。

厄介なのが、これらは、ぱっと見では判断できないし、正常と障害の境界が曖昧なのだ。

個性ですむ範疇なのか、障害なのか、こうした問題は一人で抱え込んでいけない。

もしも不安に感じるのであれば、メンタルクリニック・心療内科の医師に相談してみることをオススメする。

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性格をすぐに変えることはできない

性格とは長い年月をかけて構築されてた自分の生き様そのものだ。
それを無理に変えようとしても無理な話だ、性格や認識は簡単には変わらない。
いきなり別人になれるはずがないのだ。

時間をかけてゆっくりと変わればいい。

川の流れにより岩の角が削られて丸くなるように、常に理想の自分を意識しながら生活していれば、あなたの性格はゆるやかに変わっていくだろう。

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