「熱中できない」「夢中になれるものがない」それじゃあ何のために生きているか分からない!

頑張らない人は勝てない 考えかた

子供の頃には深く考えていなかったが、夢中になれることがある人間は幸福だ。
それは仕事に限らず、趣味でもいい、熱中できるものがあるのとないのでは、日々の過ごしかたも大きく変わる。

夢中になれるものに打ち込んできた人と、惰性で過ごしてきた人とでは、最終的に積み上げられたものを比べたときに大きく差が出るだろう。

夢中になって続けたことは、どんな形であれ成果として残る。
それは社会的な価値だけではなく「自分はこれをやってきた人間だ」と自分が何者かを示してくれる。

  • 「ひたすら仕事一筋でやってきた」
  • 「人生全てを趣味に捧げてきた」

やってることは全然違うのに、どちらもその人がどんな人間なのか表している。
打ち込んできたものが、その人の中核を成しているからだ。

逆に惰性で続けてきたものには、核になる部分が欠けている。

  • 「仕事を続けてきたけど思い入れはない」
  • 「なんとなく続けているけど、そこまで夢中になってない」

これだと、その人にとっては大事なものではない。
ただの付属品でしかない。
それじゃあ「あなは、どのような人間ですか?」と問われても答えに窮するだろう。

夢中になってひひたむきに打ち込んだものは、あなたの代名詞となってくれるのだ。

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惰性で続けると一定以上からは成長しなくなる

私の経験だが、仕事や趣味でも続けていると、よっぽど自分に向いてないことでなければ、ある程度は出来るようになる。
(逆に向いてないことはこれっぽっちも上達しなかった)

何事も続けなければ上手くならない、続ければ上手くなる。
しかし、続けることでの上達にもいくつかの限界が設定されている。

最初は0からのスタートだから、やること全てが大量に経験値を与えてくれる。
しかしある程度までレベルが上がると、同じことをしていても経験値が入らなくなる。

そこから「夢中になって打ち込む人」と「惰性で漫然とする人」の差が出てきてしまう。

同じことをやっていても、熱心な人は「どうすればもっと上手くできるか」を考えながら行っているから、常に経験値を得る。
だからいつまでも成長を続けていく。

目的なく作業する人は「これぐらでいい」と必要以上に頑張らなくなってしまう。
ルーチンワークと化してしまえば経験値はほんの僅かしか入らなくなり、成長も止まる。

この差が積み重なっていき、気がついたときには取り返しようのない「大きな差」が出来ている。

ただ漫然と続けるだけでは、天井を超えることはできない。

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「どうせ」「たかが」「べつに」と言うのをやめる

熱中しても冷めてやる気をなくす人

結果がでないとモチベーションを保つことは難しい。しかし、途中で諦め止めてしまえば、道は閉ざされてしまう。苦しいときこそ更に一歩先へと踏み出さなければいつまでも変わることはできない。

熱中できない人は心の中でこんなことを考えていないだろうか?

  • どうせこんなことできても役に立たないし」
  • たかがこんなことに熱くなる必要なんてないし」
  • べつにこんな事できなくても困らないし」

具体的な利益が見えないとやる気がでない。
人生にとって有益なことだけをやろうと考える。
合理的に判断しているようでいて、その実は真逆である。
たとえ直接的に利益を生むようなことでなくても、ひたむきに打ち込んだ経験は、その人にとっての糧になる、その粘り強さが他の場面で活きてくるものだ。

逆に手抜きを覚えた人は、どんなときでもそれを言い訳にして結局なにもやらずに終わってしまう。

断言できる。
この考えかたはあなたの人生から様々なものを奪ってしまう。
もしもこの「どうせ病」にかかっているのなら早く治療すべきだ。

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苦しいときのもう一歩

なにごとも慣れてくると、自分の力量がなんとなく分かってくるから「ここら辺までなら安全」というセーフラインも見えるようになる。

そこを越えると面倒だったり、辛くなることが分かっているので、安全な範囲でやろうとする。

私は過去に、仕事で精神的に辛い状況でも、無理して頑張らないといけないという思い込みから、手痛い経験をしたので、自分のできる限度を越えて無理をする必要はないと考えている。

危険を感じたら安全な場所まで逃げる。
自分を大切にするのが信条である。

しかし、もしも余裕があるのなら、そこでもう一歩だけ踏み込んでみるべきだとも考えている。
いきなり無理をして、いつも以上に頑張ろうとしても続かないから、まずは一歩だけ進んでみる。
まだ残っている余力や、今まで別のことに当てていた時間をそこに向けるのだ。

最初はだるいし面倒だし疲れるし、苦しいかもしれないが、まずは一歩だけやってみる。
それに慣れてきたと感じたらもう一歩進んでみる。
そしたらきっと、また苦しくなるので、慣れるまではそれ以上は進まない。

少しずつ慣れたのを確認しながら前に進んでいけば、小な一歩がやがて大きな一歩へと変化していく。

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不要な習慣は捨てる必要がある

仕方のないことだが「夢中になりひたすら打ち込む」ということは、余分なことに時間が使えなくなる。

今まで分散していた時間を集中するということは、いくつかの習慣は諦めなければならなくなる。

1日は24時間しかないので、やりたいことを全部やるのは無理なのだ。

例えばソーシャルゲームをやったり、SNSを頻繁にチェックしたりするのが習慣となっていて、1日の大半の時間を注ぎ込んでしまっているのなら、その時間を削らなければならない。

今までの生活に慣れているせいで、なかなか実行できないことだが、そこはよく考えてみてほしい。

いま現在、あなたの生活習慣に組み込まれている行為で、本当に必要なものはなんなのか。
そこまで必要ではないけど、惰性で続けている習慣はないだろうか。

もし「熱中できるものがない」と嘆いている人なら、おそらくそこまで大切なものではないはずだ。
一意専心、本当に必要なことに集中して時間を使える習慣を身につけなければいけない。

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新しいものを見つけるだけでは夢中になれない

心が動くものを見つけるのは重要だ。
やはり自分が本当にやりたいと思ったことでなければ夢中にはなれないものだ。

しかし一方で「惰性」の習慣が染み付いてしまっている人は気をつけなけれならない。

どんなことであれ、ハマるということは楽なことだけではないのだ。
苦しいときが当然ある、苦しいものから逃げることが染み付いてしまっているなら
(それが自分の身を守るためにはやむを得ないことだったとしても)
苦しさを乗り越えるための努力は必要になる

辛いときを乗り越えて「自分は成長しているぞ!」と実感できたとき、人はそれに夢中になれるのだから。

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