会社の仕事ではなく自分が人のために「できること」ってなんだろうと考えてみる

自分が人のためにできることを考える 雑記

「そろそろ潮時だなー」と思った時点で大抵がもう終わっている。
仕事であれ、人付き合いであれだ。

前の会社を辞めるときに、ごく少数であるが、ちょくちょく飲みに行ってた人らから、会社を辞める理由とか色々きかれた。
まあ色々細かいことは置いといて、結局のところは「その会社で働く理由がもう見つからなかった」からである。
もちろんお金を稼がないと生活できないのだから、また違うところで働く必要があるのだが、それでもその会社は私のなかで「もう終わった」ものだった。

そういう私に対して居酒屋でハイボールを片手に「みそじさんの頭はバグッてるわ」などと言ってくるのだから心外だ。
どう考えてみても私のロジックにバグなど存在しない。まったく失敬なやつらである。
と思っていたのだが、失礼な人たちは更に言ってきた。
「みそじさん、自分が行き倒れたとしても別にいいと思ってるでしょ?
これには、言われた私も「おやっ?」となってしまった。

酒の席のことである、興味本位で言ってるだけなのだから悪意も感じられないような一言ではあったが、これには少し言葉につまった。

いやいや、行き倒れとか嫌に決まってるのだけれど?

しかしいまの会社で目的もなく働き続けるのと、行き倒れるのどっちが嫌かと聞かれたら、正直どっちも同じぐらい嫌であった。

じゃあお前は何がしたいんだと尋ねられても明確な答えもない。

これが家庭を持つ人間なら「家族のため」
趣味に生きる人間なら「趣味のため」
と答えられるものだが、そう言えない自分はやはりどこかにバグがあるのかもしれない。

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「誰かのため」を考え始める

「仕事に必要なのは愛だ」と誰かが言ったかもしれない。
たぶん誰か言っているだろう、それっぽい言葉だし。

私はそれまで仕事に対して愛情を感じたことは一度もなかった。
仕事の失敗を繰り返すうちに、自分にできないことがなんなのか理解したおかげで、仕事の失敗や不安からうつになってしまったような、過ちを犯すことはなかった。

それで安泰かと思えば、そしたら今度はやりがいを見つけなければいけなくなってしまった。
やはり人生には目的が必要なのだろう。
自分が何をするためにここにいるのか的なアレである。

このブログをはじめたきっかけもそこにある。
自分の失敗だらけな人生で学んだ教訓を書くことで、同じような思いをしている人がいたら助けになるかもしれないとか。
まあ自分のフラストレーションをブログにぶつけてる感もあるのだが、なんやかんやと続けているということは、この習慣は自分にとって必要なことなのだろう。

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ブログは誰にでもできる「人に自分を伝える」行為

書くことは自分を成長させてくれる

ブログを書くということは、自分の考えを人に見てもらうと共に、自分を見つめ直し理解することに繋がる。

何かやってみたいと考えている人にはブログをお勧めしたい。
今は誰でも簡単に始められるブログサービスが沢山あるし、PCがなくてもスマホで書くことだってできる。

自分の中に溜め込んでいるものを文章にすることで、うまくまとまっていなかった考えを整理できるし、新たな発見もある。

私のような人間が書いた記事でも、そう多くはないが読んでくれている人がいるのだからありがたいことこの上ない。

逆に読者が求めている記事とはどういうものなのかも気になってくる。
私の失敗談をひたすら書いたほうがいいのか、ちょっとでも悩みが軽くなるような役立つ情報を書けばいいのか、それともあれか、日常を綴る雑記とかも書いたほうがいいのだろうかと、色々考えるようにもなる。

こんなふわっとしたブログではなく、もっと具体的に役立つサービスを作ってみたいとも思うが、今のところはブログで手一杯だ。

私の日常は相変わらず安定はしない。
失敗→挑戦→安定、安定の期間が短いせいで延々と繰り返し続けているような気がする。

「いい歳して」とよく言われるが、それもイマイチピンとこない。
たぶんこの先もずっとピンとこないんだろうなと思う。

もしかしたら、あの失礼なだれかさんが言ったように行き倒れているかもしれないが、それはそれで、まあしゃーないことだと納得する。

自分の選択したことなのだから、誰かのせいにもできませなんだ。
そんなふうに開き直ると、逆に怖さというものは感じなくなるものだ。

このブログも、自分のできることをもっと反映したいと考えている。
それが読者にとって不要なものでないといいのだが、どうか生ぬるく見守っていただければと思う。

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