「人が嫌いで他人はみんな敵!」そんな生きづらさを少しでも楽にする方法

相手の感情を理解する 人間関係

「人が嫌い」「他人が敵に見える」
あなたは、そんな感情に悩まされていないだろうか?

ちなみに私もそんな悩みを抱えている一人である。

なぜ他人を嫌いになるかといえば、それはおおよそ価値観の違いからくるものだ。

人が集まれば価値観の争いが生まれる。大抵は大多数の一般的な価値観に対して、少数派が叩かれてしまう。

私は昔から周りと考えがズレている節があったものの、学生の頃はまだそれが許容されていたのだが、社会に出て会社で働き始めるとそうもいかなくなり、人嫌いが一気に悪化した。

多数派は少数派を攻撃する習性がある。
違う価値観をもっている人をとにかく否定したがるのだ。

集団に属していれば、少数派は狙われる。
ほっといてくれればいいものを、いちいち相手を否定しようとする輩にうんざりである。

そんな状況で他人が嫌いにならないわけがない。
むしろそれでも人が好きと言えてしまう人は、とんだマゾヒストである。

私はいたってノーマルなので、私が人嫌いになったのは当然の帰結というやつである。

今回は、そんな人間嫌いな私が考える「他人との折り合いの付け方」について書こうと思う。

 

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気がついたら誰かを憎んでいる

気がついたら嫌いな相手をのことを思い浮かべてイライラしてしまう。
朝起きたらまず思い浮かぶのが憎い相手の顔。

そうなっていたらかなり重症だ。そして私は重篤患者だ。

世の中の人という人が大嫌いである。

過去に他人から否定されたりバカにされたりするたびに、怒りや憎しみの感情を心に溜め込んできたものが私に「他人は敵だ」と訴えているのだ。

過去の嫌な出来事を思い出しては怒りを感じ、また思い出しては相手を憎む。
いつのまにか、それが習慣づいてしまっている。

まずはこの条件反射で怒りを溜め込む癖をなおさなければならない。

そんなことができるのか?

私は他人を受け入れようと色々頑張ってみた。

その結果!

無理だった。

やっぱ無理なものは無理なのである!

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価値観が違う相手を受け入れられるわけがない!

関心がないことには顔をむけない。嫌いなものは避けて通る。
それは当然のことだろう。

誰だって自分の好きなものだけを見ていたいと思う。
しかし、知らないままでは相手を理解することはできない。

そういえば、昔みたアニメの悪役が印象的な台詞を言っていた。


《主人公の指摘》
「人間を悪だと言ってるけど、お前は人の悪い面しか知らない愚か者だ

《悪役の反論》
「ああそのとおりさ自分は人の悪い面ばかり見せられてきたからこうなった、私は人間の悪い面しか知らない! それを見せたのは全部あいつらだ! そいつらが悪いんじゃああ!!」


ざっくり言えばこんな感じだった。

まあ物語でその悪役はとても更生できるような境遇でなかったのだが、妙に印象に残ったのは、自分にも似たところがあったからなのかもしれない。

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無理して違う価値観を受け入れる必要はない

ここまで相手を理解することを書いておいてなんなのだが、価値観が違っていても、お互いに不干渉ならば争うことはないにしろ、だからといって相手を好きになることはまあ無理だろう。

だから無理に相手を好きになろうと頑張る必要はない。

そして、価値観が違う相手を否定的に干渉してくる相手ならば、これはもう戦争不可避である。

他人の価値観を尊重するべきだが、こちらを否定しようとする相手に対して寛容になんてなれるわけがないのだ。

それが簡単にできていれば宗教戦争なんて起きないのである。

逆に言えば、こちらが相手を否定しようとするならば、相手もまたこちらを否定しないわけにはいかないのだ。

価値観はそう簡単に変えられない

価値観を変えるということは、今の自分を分解して別人になるということだ。
簡単にできるわけがない。

だから相反する価値観をもつ者同士は争う。

これはリンゴが地面に落ちるのと同じくらい当然で回避不可能な事象である。

さて、それを踏まえたうえでの結論は、最善の策は他人と関わらないことなのだが、人との関わりを完璧断って生きるというのはかなり難しい。

だから、相手を好きになることはできないが他人を敵だと思わないようにするのだ。

そのためには、こちらから否定を仕掛けるスタイルではいけない。

まずは最低限でも他人を理解しようとする姿勢を身につけることで、不用意に敵を作って生きづらさに拍車をかけるようなことも少なくなるだろう。

コメント

  1. そねざき より:

    拝読しました。
    最近、自分自身の価値観が間違っているという指摘を受けました。自分が優先するものと他人が優先するものが全く別だったのです。
    相手はそれは違う、こういうものだ、という主張を私にしてきて、全面否定でした。相手のほうが一般的な判断なので、敵は多勢でした。分かってもらえないという悔しさが大きかったです。
    普通に考えて、少数派の私が多数派に合わせる必要があります。これまでもそういったことが多く、どうしても合わせて、合わせて、ずっと生きづらさを感じてきました。結果、人が嫌いになりました。
    このブログを拝読して、よかった自分だけじゃない、と思えて少しうれしかったです。また、価値観が合わない相手を好きにならなくていいんだということが分かって少し肩の荷が降りました。他人に理解を求めるのはやめたほうがいいとわかって、少数派の自分だからこそやめるべきなんだな、理解する方に回ろう、という考えに至ることができました。
    理解しようと努力したら、相手が言っていることもなんとなくわかってきました。仕方ないなあ、と思えました。ありがとうございます。
    社会の中で、少しでも苦しみが減る生き方ができるように、私も努力します。

    • 管理人 より:

      記事を読んでいただきありがとうございます。
      私も以前はなんとか他人を好きになろうともがいていた時期がありました
      けれど。無理して他人の価値観を受け入れようとしたところで、本心では拒絶しているのだから、上手くいくはずもありませんよね。
      価値観が合わない人を無理して受け入れたり、否定しようとするよりも、自分には無関係だと距離を取るのが一番というのが私の結論です。
      (職場だったりすると、そんな相手とも接していかないといけないのが辛いところですが……)
      少数派の価値観は生きづらいことこの上ありませんが、無理せず自分に優しくいきたいですね。