思い込みにのまれた人間は怖い!いじめや迫害の原因となる集団心理

集団のイジメは恐い 人間関係

いじめの問題はニュースでも毎日取り上げられている。
集団ができるといじめは必ず起きる。

こうやって、物事の悪い面ばかり気にするのは良くないことだと理解しているが、それでも、実際に問題が起こっているし、私にとっては他人事ではない。

幸いなことに、私は深刻な”いじめ”に遭った経験はないが、それでも疎外感や集団からの圧力を感じたことは何度もある。

私が自由に振舞っていると。
「空気を読め、勝手なことをするな」
暗に協調することを”強制”されているのだ。

だから私は集団が好きになれない。
自分の考えを自由に言うことをよしとしない空気が嫌だ。
そしてなにより、いつの間にか自分も、加害者側になってしまいそうな”同調の圧力”が怖い。

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集団では善悪の判断がつかなくなる実験

学校のいじめ問題は酷い。
いじめ内容がとても子供のやることに思えないからだ。
むしろ、まだ正しく善悪を判断することができない子供だから残酷なのだろうが、ときには教師までいじめに加担していることがあるから救えない。

「アイヒマン実験」という、集団における人間の心理についての実験がある。
実験参加者は「先生役」と「生徒役」になり、先生役が問題を出し、生徒役が答える。
生徒役が答えを間違えれば、先生役は生徒役に電気ショックの罰を与える。

とうぜん、電気ショックを与えられた生徒役はその痛みに苦しむわけだ。
(実は生徒役はフェイクで、本当は電気は流れておらず苦しむフリをしていた)

相手が苦しむ姿を目にした先生役は「自分のやっていることは、悪いことだ」と、罰を与えるのをためらう。
このときはまだ、善悪を判断する思考が正しく動作していることになる。

しかし、『実験者のお偉い学者先生」から罰を与えるように促されると、先生役の参加者は言われるままに生徒役に電気ショックを与え続けてしまう。

電気ショックの強さには段階があり、最終的には半数以上が最大出力の電気ショックを生徒役に与えてしまったという結果になった。

みんな、最初は持っていた「善悪の判断力」がぶっこわれてしまったのだ。
しかも最悪なのは、被験者は「学者先生に言われてやった、自分は悪くない」と気づかないうちに状況にのまれた自分を正当化してしまうのだ。

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集団の同調圧力は人を洗脳する

この実験、なんだかその状況に見覚えがあったのではないだろうか?
それはそうだ。だってこれ、私たちの日常でよくある光景ではないか。

会社では、出来の悪い人のことを全員でのけものにする。
人が3人集まれば、誰かの悪口を言いだす。

本当はそんなことしたくないの、言いたくないのに、と思いつつも、「ハブられたくないから、ここは同調しておこう」と場に流されてしまった経験があるはずだ。

「みんながやっているから」そう考えるとなんでも許されてしまう気になってしまう人間はなんて愚かなのだろうか。

周囲に流されて人に悪意を向けてしまった…

私が昔働いていた会社に、とても仕事のできない人がいた。

その人がいない場所で、例のごとく人が集まると悪口を言いだす。
「あの人は仕事遅いよねぇ」「あの人はミスばっかりするよねぇ」

人のことを言えないぐらい仕事のできない私は、できないことへの悩みを理解できていたはずなのに。
その仕事がちょっと自分に向いているもので、私がその人のサポート役についていたせいで、調子に乗っていた
気がついたら自分も周囲に話を合わせていた。
あれだけ嫌な思いをしてきたのに、集団に流されてしまったのだ。
このときの私はとんだ馬鹿野郎である。

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悪いことすらルールになる集団が嫌だ

集団の中にいると、普段はなんとか正しくあろうとする私の薄っぺらな正しさが、人の群れに紛れてしまえば、あっという間に消えてしまいそうだからだ。

それは私の精神や技量が未熟なせいなのだろう。

私はまだ、自分を貫けるほど自分を確立できていないのだ。

だから集団が嫌いなのだ。

自分が集団の標的になりやすい思考をしているのを自覚しているが、人を悪く言う集まりは嫌いだし、人を悪く思う自分の感情も嫌いだ。

自分が受けるか、自分が与えるか、どちらにせよ人に悪意を植え付けるような集団が、私は怖いのだ。

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