辛くて苦しいときでも自分を信じて頑張る方法

誰かに支えられながら進む 考えかた

「自分を信じる」と言葉で言うのは簡単だが、目の前に壁が現れてしまえば「本当に自分のやっていることは正しいのだろうか?」と疑念が浮かんでしまう。

困難な状況に陥ったときこそ、自分を信じたいのに、どうしても弱気になってしまう。
それは自分の心が弱いからからだろうか?

確かにそういった面もあるかもしれないが、そもそも人とは自らを自分だけで支えられるほど強くはできていないのだ。

つまり、自分を支えてくれる外部の力が必要なのである。

これは安易に他人を頼れと言っているわけではない。
私のような他人と関わるのが苦手な人間は、そもそも他人に頼ること苦痛でしかたない。
むしろ、他人に頼るぐらいなら、そこで終わってもいいと思えるぐらいである。

ここで言いたいのは、人の力を借りるというのは、なにも直接的に人の助けを請うだけではないということだ。

例えば、偉業を成し遂げた人の行動や言葉に感銘を受け、それを行動理念に取り込むように、彼らは直接にあなたを助けてくれたわけではなく、その姿を見た人は自らによって「こうなりたい」という理想像を自身の中に生み出す。

人というのは信仰や感銘を心に取り込むことで、自己肯定の力に変換することができるのだ。

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「こんな自分でありたい」という望みが心を支える

海外では筋骨隆々のタフガイだったとしても信仰心を持つ。

いくら強靭な肉体を持っていたとしても、自分一人では心を支えきれないからだ。

それが自分の人生に影響するような判断を強いられる場面であれば、なおのことである。
簡単に「自分は間違っていない、これでよいのだ」と信じられるものではない。
自分を信じきれずに迷いが生まれてしまうと、強い意志を保てなくなる。

心の支えは信仰心に限ったものではない。
要は自分が信じる存在を心の中に留めておくことができればよいのだ。
それが苦境に立たされたとき自分を信じる力になる。

どんな苦境に立たされても諦めることはしない。
苦しい場面でも、いまの自分にできることで努力し続けている。

私は精神的に苦しい状況に陥ったとき、愛読書の主人公を思い浮かべる。

「彼ならここで諦めたりはしない。自分は彼のように、まだ全てをやりきってはいない」そう考えるだけで力が湧く。

勇気ある人のひたむきな姿勢は「自分もあの人のように在りたい」と心に活力を与えてくれるのである。

苦しい時でも自分を信じて前に進む

自分一人だけでは苦しいときに先が見えずに挫けそうになってしまうことがある。しかし「自分もああなりたい」という目指すべき姿を想像できれば、それが心を支える力となってくれる。

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感銘に出会う瞬間

「自分の中には信じられる存在など居ない」と言う人も心配はいらない。
それはまだ出会えていないだけで、あなたの心に強い感銘を与える存在はどこかにいる。

あなたがそれに出会うのは、本や雑誌を読んだときかもしれないし、映画やテレビ、美術館や講演会かもしれない。
できるだけ多くの人の「生き方・信念」に触れることで、あなたはいつか、自分の心に留めたい存在に出会えるだろう。

人の生きる姿勢が精神を豊かにする

いまの時代は物がなくて困るということがない。
金さえあれば大抵のものがAmazonで買えてしまうのだ。Amazonすごい。

しかしその反面、精神的な豊かさを蔑ろにしている人が増えたのではないだろうか?
物を持つことがステータスだと考え、そのためにお金を稼ぐ。
しかし、金や物を沢山持っている人はみんな魅力的な人間だ、ということにはならない。
その明暗を分けるのが人間性である。

尊敬される人には「信念」がある。
金の有無ではなく、生きる姿勢そのものに魅力があるのだ。
彼ら(彼女ら)が私たちに教えてくれるのは、成功する方法ではなくその生き様だ。

私たちはその姿に感銘を受け自分の中に取り込むことで強い精神を形成する。
たとえ今の自分には何もなかったとしても、自信をもって前に進める強さを得るのだ。

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人は誰かに助けられている

自分に理解者などいない、自分は孤独である。
私は常々そう思っていた。
現に、今だって胸の内を全てぶちまけたところで、他人から理解が得られるとは思っていない。

しかし、私は心の中には信念を持つ人が存在する。
言ってしまえば人に助けてもらっているということなのだ。

そう考えると、自分は一人だけれど、けっして自分一人の力で前に進んでいるわけではなかったということになる。

それに気づいたとき「自分は誰にも助けてもらえない」という思い込みは私の中から消えたのだ。

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自分自身を認められる人間になりたい

原動力になる要因は人によって様々だが、他人に無関心な私は「誰かに認められたい」という気持ちを力にすることはできなかった。

だったら何から認められたいのかといえば自分自身である。

私はどうしたところで自分勝手な人間なので、自分自身が認められるような人間になりたいのだ。

それには自分を信じ続けることが必要不可欠であり、それを支えているのは「ああなりたい」という理想の誰かが頑張っている姿なのである。

あなたには、そんな「誰か」はいるだろうか?

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