「他人と関わるのも仕事で失敗して傷つくのも怖い…」臆病な心との向き合い方

アドラー心理学に頭をいためる パーソナリティ障害

最近、アドラーの心理学について書かれた『勇気はいかに回復されるのか』という本を読んでみた。

この本は「勇気」をテーマとして、アルフレッド・アドラーの著作を引用・解説したものだ。

ページ数は190P程度、内容も分かりやすく書かれているので読み易い。

のだが…

なんというか、私はこの本で解説されているアドラー心理学というのが読んでいてイラッときた!

書かれていることはわかるけど「気に食わない」のである。


私の持論「適正がなければ、努力してもできないものはできないんじゃあ!」

アドラー心理学「できないのは努力してないからだよ言い訳すんな甘ちゃんがぁっ!」


真正面からぶつかってるではないか! なんという相性の悪さだ! 

しかも半分は思い当たる節があるせいで反論しきれず、本を読んでいる間も過去の体験を悶々と思い出し続けていたので頭痛がする始末だ。

しかし、こういった本を読むことで無意識に避けていた問題を直視するきっかけにもなるわけだから、いちおうは紹介しようと思う。

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人生の課題を解決するためには必要な勇気

本のタイトル通り、全篇にわたって「勇気」についてかかれている。
「勇気」とはなんなのか、この「勇気」がないと人生の課題から逃げ、自ら解決することができなくなるとされている。

(いやぁ、確かにその通りだと思うけど、正論で殴られてるみたいでイラっとするわぁ…)

勇気がないと人に頼る

甘やかされた子供がいつまでも親に依存するように。
他人に迷惑をかけることで大人を演じる悪ガキのように。

正しく課題を解決することが出来ない、その方法が分からない人間は、「他人に頼る、他人に迷惑をかける」という行為に走るようになる。
ということらしい。

勇気がないと逃げる理由を作ってしまう

神経症の兆候には、人生の課題を解決することを拒否することを正当化するという意図がある。

本書には神経症の患者を例にしている一節がある。
そういった患者は「できない」のではなく、課題から逃げるための「できない理由」を作ってしまうというものだ。

ここら辺の言い分はちょっと気に食わない。

努力の判断基準はどこにある?

理屈は分かる。しかし、この「努力」という言葉の意味は曖昧だ。
何をもって努力したといえるのだろうか?

社会では成果がでなければ、いくら頑張ったところで努力したとはみなされない。

しかしそこには、努力不足だったり、努力する方法が間違っていたり、努力したけど適正がなかったりと、様々なパターンが存在するだろう。

全てを言い訳だと切り捨てられたらたまったもんじゃない。

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他者への関心がない人について

アドラー心理学では「人と協力する」こと「人に関心をも」つこと、人と結びつく「共同体感覚」が生きるうえでとても重要であると書かれている。

もしも一人で生き、問題に一人で対処しようとすれば、滅びてしまうだろう。
自分自信の生を続けることもできないし、人類の生を続けることはできないだろう。

これに関してはもう…「うるせえよ!」である。

うーむ、滅びてしまうのか、それは困ったなぁ……

「知ったこっちゃねえよ!」である。

いやわかるよ?
人と共感するって大切だよね。

でも人と関わることがマイナスにしかならない残念な人間だって世の中にはいるってことを知ってるかい?

まあ私のことなのだが…

この「共同体感覚」が人生において重要だなんてことなんて先刻承知である。

それでもなのだ。
私には他人なんてどうでもいいのだ。

それで自身が滅びるなら、それでもいいと私は考えている。

他人に振り回されるぐらいならそのほうがそのほうがマシなのである。

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人に与えるということ

一人で生きようとすると、自分のことばかり考えてしまう、そうするとやがて自分の利益にしか興味がなくなってしまうらしい。

こうなると、人を助けることを利益で考えるようになってしまい、人を助けることができなくなるらしい。

そして、人を自分の手段として考える人間は平気で人を傷つけてしまうそうだ。

私から言わせれば「それがなにか?」である。

もうね、自分のことだけで精一杯なのさ。

人助けなんてしてる余裕もないわけさ。

そんなもんは余裕がある奴がやっとればええんじゃい!である。

ちなみに、これを解消するには「人から得る」ことを忘れ「人に与える」ことを思い出さなければいけないらしい。

他人から奪われた続けた人間にこんなこと言うなんて、こいつマジ鬼畜である。

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優等生の正論を聞かされてるみたいでイラッとした!

どうして私が、アドラーの言ってることにここまで反抗心を掻き立てられるかとえば、これは「やればできる人」を前提の方法論だからだ。

致命的な欠陥を持って生まれた人間のことは考慮されていないわけで(まあ、そんな少数派をいちいちフォローしてたら何も書けないだろうが)

そこが気に食わないのである。

できないもんはできないのだ。

曲がって生まれたもんは一生曲がったまま、矯正なんざ不可能なのだ。

この、だれだってやればできる的な物言いに私はイラっとしたわけである。

逆にいえば、私はこれが人としての正しさだということを認めている。

しかし、実際に社会に出て沢山酷い目にあった人たちの心は疲弊している。
そんな人たちにむかって「あなたには勇気がないのだ」というのは酷だろう。

やはり私は「人生に疲れてもう嫌だと思ったら逃げていい」と思う。

けど、世の中には、今は心が疲れて臆病になっているけれど、頑張ればこの『勇気』を復活させられる人もいるだろ。

全員が私と同じなわけがないのだから、そのはずだ。

まだ人生の課題に挑戦する気概が残っている人は、このアドラー本を読んでみてはいかがだろうか。

私? 私はもうむりぃぃぃぃぃぃ

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