自分に自信がない、今の自分が嫌い、そんなあなたに教養力!

教養力を身につける 書籍

自分に自信がもてないと心が弱くなる。

自信とは、心を支える芯のようなもので、心に一本の太い芯が備わっていれば、ちょっとやそっとの逆境でも心が揺らぐことはない。

しかし、己を信じるためには、それに足る蓄積が必要になってしまう。

つまり自分の中に確かなナニかがなければ自身が持てないのである。

なんでこんなことを書いているかといえば、私自身が「自分は何も知らない」と思わされることが多々あったからである。

なんというか、抽象的にしか言えないのだが、私はふわっとしているのだ。

世の中はたぶんこんな感じで動いている気がしないでもないといえなくもないかも? みたいなふわっとした認識で動いているせいで「確信」が持てないのである。

自分に自信がないというのは、自分の行動に確信がもてない状態なのだろう。

それじゃあ確信を持つためには何を知って身につければよいのか?

そう考えたときに頭に思い浮かんだのは「教養」という言葉だが、それじゃあ教養ってどうすれば身につくんだ? そもそも教養とはなんぞや?

という疑問を感じて読んだ本がこの「教養力」である。

 

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心の弱さは教養のなさ?

教養がない人は、自分の心の状態を自分で見極めて適切に処理しなければなりません。しかも、そのときは心が弱っていますから、弱っている者が弱っている心をケアしなければなりません。それは「心の老老介護」のようなものなので、けっこうきついはずです。

私は他人に依存せずに生きていきたいと願う一方で、心が弱っているときは本能的に自分以外の支えを求めてしまう。
自分を信じて前に進みたいが「自分を信じてよい」という根拠が欲しいのだ。
そういうときに「名言集」の一節が心に染みるときがある。
皆も、今の自分を救ってくれるような名言を求めて、そういう類の本をめくった経験はないだろうか?

これはつまり、先人の残してくれた「偉業・思想」という「教養」を自分の行動に当てはめることで、自分の行いを肯定し心を強く保とうとしているのだ。
「教養」に心を支えてもらっている状態である。

名言の本がよく売れるのは、それだけ現代に心の支えを必要にしている人間が多いということなのだなぁ。

教養が人間性を強化する

 

人間の厚みは、自分の中にどれだけ偉大な他者が住んでいるかで決まると、私は思っています。

 

仕事でも、続けているうちに、ある段階からルーチンワークになってしまう。
それを「仕事に慣れたのだ」と済ませてしまえばそこで成長が止まってしまう。

自己形成も自分だけの考えと向き合い続けていたら、いつかは同じ答えしか導きだせなくなってしまう。
そうすると、いつも同じ批判ばかりするような薄っぺらい人間になってしまう。

自分の考えは大事だが、自分の考えに深みを持たせるためには、他者を自分に取り込むことが必要になるのだ。

他者の偉業を自分の中で消化することにより、新しい考えができるようになり、人としての厚みに繋がる。

教養が自分の世界を広げる

基礎を身に付ければ、世の中のいろいろなものが面白くなっていきます。

私もそうだが、例えば美術館にいって現代アートを見ても「何がよいのかさっぱり分からない」絵がある。
けれど、作者の意図や時代の背景、絵画の手法、などの知識をもつことで、「よくわからない落書き」が「作者の意図が映し出された絵画」になる。
入場チケットさえあれば美術館には入れるが、教養というチケットを持っていないとおもしろさは分からないのが芸術なのだろう。(ちょっと上手いこと言ってみた)
まあ、私もそのチケットは持っていないのだが。
おもしろさを感じることが増えれば、それだけ世界が広がる。

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「教養」の身に付けかたとは

つまり教養とは知識を身につけることなのか?
学校で勉強したら教養が身につくのか?
という疑問に対して本書ではこう書かれている

教養は人から「身につけなさい」と言われて学ぶものではありません。

教養のイメージは、「チェックする」のではなく、「積み上げる」とか「刻み込む」といったものです。

たとえば学校の勉強で暗記することを教養を身につけたとは言わない。
テストで点と取るために現代文を読んだとしても、作者の思想や感情は自分の中に残らない
文字の羅列としか感じていない文章は心の支えにならない。

必要なとき自然と口に出せるぐらい、自分に刻み込まれた知識が教養なのだろう。

本を読みたい気持ちを湧かせる本

この本を読み終えて最初に感じたのは「ちょっと”論語”読んでみようかな」だった。

正直なところ、今までは私はそこまで深く本の内容を咀嚼していなかった。

「この本を読むことで自分が一つ変わる」と考えて読めば、今までと違った読書観を持てるだろう。

教養は広く身に付けたい

さて、本書の内容から離れてしまうのだが、この「違いのわかる人」は、教養を身につけることで品性も身につけることができるのだろうか?

ざっくりいうと「教養を身につけたとたんに人を見下す奴っているよね?」ということだ。
この人は真に教養を身につけたと言えるだろうか?

私が思うに「芸術の教養」が身についても「心の教養」が足りないとこんな人になってしまうのだ。

仮にあなたがコーヒーにちょっと詳しい人だったとして。
(これは自分のこだわっているものに置き換えてもらってもいい)

美味しいと評判のお店で一緒にコーヒーを飲んだ人が「インスタントとあんまり変わらないねぇ」と言ったとしよう。
そのときあなたは『この人はなんにも分かってないなぁ』という気持ちを抱くのではないだろうか?』
その気持ちには、ほんの少し、塩ひとつまみ程度でも「侮蔑」の感情は混ざってないだろうか?

私にはしばしば、このようなよろしくない感情が出てきてしまう。つまりそれは、私に心の教養が身についていないからなのだろう。

広く教養を身につけるというこは、心の偏りをなくし人があるべき正しい姿を保つことに繋がるのだと私は思う。

 

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