「これって境界性人格障害?」極端な性格を治す方法とは

境界性パーソナリティ障害の特徴 パーソナリティ障害

物事を判断するとき、極端な考え方しかできない性格の人が世の中にはいる。
まあ、私のことなのだが……

私の判断基準には、いわゆるグレーゾーンである「中間」存在しないのだ。

  • 「敵か味方か」
  • 「善人か悪人か」
  • 「損か得か」
  • 「正しいか間違っているか」

こんな性格をしていると生きづらいことこのうえない。

自分にとって、ちょっとでも都合の悪い人、気に食わない人は完全に「敵」とみなしてしまうのだ。

そんなことをしていたら世の中が敵だらけになってしまうということは、容易に想像できるだろう。

なにより厄介だと思うのが「今まで好意を向けていた相手でも、些細なことで悪意に反転する」という、感情の不安定さである。

本当にちょっとした出来事で、感情の白黒が逆転してしまうのだ。

それゆえに、私は自分の中にある「好き」という気持ちが全く信用できない。

なにせ自分でも驚くほど、思ってることがポンポン変わるので「はいはい、どうせまたすぐに嫌いになるんだろ?」と自分を疑いの目で見ている。

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境界性パーソナリティ障害かも?

別名「境界性人格障害」とも呼ばれているこの症状、特徴も私に当てはまる部分が多々ある。

  • 2極的な思考しかできず、間をとった考え方ができない
  • 他人の些細な行為に過剰反応してしまう
  • 好きな人に依存しやすい
  • 感情が反転しやすく、些細なことで「好き」が「嫌い」に変わる

客観的にみたら、とても厄介な人間である。
特に「他人に攻撃的になる」というのが、人間関係で問題を起こしやすい。

相手に依存しやすいため、好きな相手が自分にたいして冷たい行動をとると「なんで優しくしてくれないんだ!」と頭に血がのぼってしまうのだから困りものである。

自分を理解してくれない人間は「敵」なのである。
自分のことをさらけ出してもいないのに、理解してくれないことに怒りを感じるなんて、しょうがない人間だとは分かっていながらも、なぜかそういう考えになってしまうのだ。

重度になれば自傷行為をしてしまう人もいるらしいが、私は自分に甘い人間なので、それはない。

虚しさを感じるときは要注意

極端すぎる思考ゆえに、自暴自棄とまでいかずとも、投げやりな気持ちになりやすい。

「もうどうでもいいや」的な思考になると、普段はしないような散財をしてしまったり、はっちゃけてしまうことがある。

しかし、いっときの空虚感にあてられた好意は、後で必ず後悔するハメになる。

自制心を手放してはいけない。

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子供のころから人格障害の兆しはあった

自分の子供の頃を思い返すと、家族相手に癇癪を起こすことがとても多かった気がする。
おそらくその頃から境界性パーソナリティ障害の兆しがあったのだろう。

社会に出て今までよりもずっと多くの人と接する機会が増えてからは、いっきに人格面で障害とおもわしき行動が増えてきた。

挫折や苦労、面倒な人間関係、そういったものが影響したのかもしれない。
「こいつは敵だ」「こいつと付き合っても特にならない」「自分の思った通りにしないこいつは悪だ」そういう考えに傾いていた。

自分の人格がどこでどうコジれたのか、発症時期や原因をいちど徹底的に分析してみたいものだが、とにかくわたしは、とても厄介な人間に成長してしまったのだ。

 

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性格を治すのは難しいが対処方法はある

私自身も色々と悩み、試行錯誤をして思ったことは「歪んでしまった性格は簡単に治すことはできない」ということである。

しかし、それじゃあどうすこともできず悩み続けるのかといえば、そんなこともない。

結局のところ、人と関わるから極端な性格が問題になるわけで、逆にいえば、他人との関わりがなければ問題は起こらない。

人と距離を置いて生きることこそ、パーソナリティー障害を抱える人にとって最も確実な対策方法だと私は考える。

精神的に孤独を受け入れたほうが生きやすい。

なにも世捨て人になれと言っているわけではない。

社会で生きていくのに、完全に人との関わりを断つことは不可能だと言ってもいい。

だから、他人と自分の間に明確な線を引くこと。

他人に心が近づきすぎないように、一定の距離を保つことが大切である。

他人と折り合いをつけて生きる

いまだに白黒つけたがる癖は抜けていないが、私は昔に比べて症状は穏やかになったと思う。

若いころよりも、他人に対する依存心が抜けてきたのだろう。
最近の私は「合う人とだけ付き合えばいい、合わない人のことは気にしなくていい」である。

昔といっても、割と最近のことだが「そりが合わない人は敵だ!」と考えていたのが、今は「合わないなら関わらなければいい」といった具合に、少し力の抜けた人付き合いができるようになった。

「自分が会いたい時に会えない人はいらない」ではなく、「会えるときに会えばいい、それで会わなくなるなら、その程度の関係だった」とすれば、相手に固執して自分のペースが乱れることもなくなる。
つまり、中間のグレーゾーンができたのだ。

自分の気に入らない相手も認められる寛大な心は残念ながら私にはまだ備わっていないのだが、少し考えかたを変えるだけでも、生きやすくなるものである。

人間関係など無理に繋ぎとめる必要なんてないのだ。
一期一会だと思って生きていけばいい。
縁があればまた会おうこともあるし、なくても別の人と出会う機会が訪れる。

誰かに固執するということは、自分の心が相手に囚われていると同じだ。
もっと心を自由にさせてやればいいのだ。

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