仕事ができない自分を無能だと悩むのは「うつ」になるからやめなさい

無力感に落ち込む 仕事の悩み

このブログを読んでいるということは、あなたは仕事が上手くいかず失敗続きで悩んでいる人なのだろう。

こんな記事を書いている私もまた同様に、失敗続きの道を歩く人間である。

そんな私が失敗との向き合い方について書いてみようと思う。

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仕事の失敗で自分に無能のレッテルを貼らないこと

私は過去の記事においても、人にはそれぞれ向き不向き、つまり “適正“があるということを提唱してきた。

自分の適正から大きく外れた仕事失敗する可能性が高い。
それは私が自らの経験から学んだことである。

当たり前のことを当たり前のようにこなす普通の人たちと違い、私たちのような人間は、1つの単調な業務を淡々と行うことは出来ても、多様な業務を汎用的にこなす仕事になると失敗をする可能性が非常に高くなる。

私達はとても不器用な人間なのだ。
自分の型にはまる仕事というのが一般の人と比べて極端に少ない。

小さな失敗を繰り返すうちに「自分はなんて駄目な人間なんだ」と感じてどんどん自信を失って悩み続ければ、最後は「うつ」に陥ってしまうだろう。

仕事の失敗は適正の判断材料として受け入れるだけでいい

私達は器用な人間に憧れている。

なんでもそつなくこなす人を見ると、どうしても羨ましくなってしまう。
しかし、そんな汎用的な人間と自分を比較するのはナンセンスである。

我々は不器用な人間なのだから、100やれば99失敗することもあるのだ。
それで失敗するたびに悩んでいては鬱になってしまうのも当然である。

残念ながら、失敗は私たちにとって切っても切れない悪友なのだ。
こいつと上手く付き合うには、いちいち深く構ってはいけない。

失敗したら「これは自分にできない仕事なのだな」と受け入れてしまえばいい。
出来ないものは出来ないのだから、考えたって仕方がないのだ。

努力すれば出来るようになる?

確かにそういうケースもあるが、だとしたらそれは適正があったということだ。
適正がないということは、どんなに努力しても絶対にできないということなのだ。

脳の構造に欠陥でもあるのだろう、体の造りに異常があるのだろう。
脳と身体という土台が他の人と違うのだから、他人が努力して出来ることでも、自分がいくら努力してもできないことは存在する。

特に私たちのような人間はそれを日々痛感しているのではないだろうか?
何故それを無理に克服しようとする必要がある?
他人と同じになる必要なんてどこにもないことに気づいて欲しい。

仕事ができない自分を無能だと悩むのは危険!

向いてないことや出来ないことがあるのは当然で、失敗は自分の適正を理解するための要素でしかない。だから、できない自分を無能だと追い詰める必要はないのだ。重要なのは失敗から学ぶことである。

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無力感による自信喪失を防ぐ

過去の失敗を繰り返すうちに私たちは「自分には何もできない」という無力感に取り憑かれる。

しかしこれは間違いだ。
「できないことはあるけど、できることもある」し、「昔はできなかったけど、今ならできること」もある。

それなのに、自信を失った人間は「自分には何もできない」と思い込んでしまうのだ。
自分にできることはまだあるのに、みずから己を小さな枠にはめ込んで「自分はなんて小さい存在なんだ」と落ち込む。

そうではない、いまあなたが無力感を感じている小さな枠こそ取り払うべきなのだ。

もっと大きな枠で自分のできることをすればいいのである。

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99の失敗よりも1つの成功を大切にする

100のうち、99が失敗だったとしても、1つは上手くいく事がある。

私たちは99の失敗なんかより、上手くできた1つを重要視しなければいけない。

この1つは貴重な成功例のサンプルなのだ。

これは私たちの進む道を小さく照らしてくれる灯火である。

無数にある人生の選択において、失敗に続く道は除外して、小さいながらも灯された光を頼りに道を進んでいかなければならない。

同じ失敗を繰り返さないように失敗はちゃんと受け入れよう。

それと同時に、どんな些細なことでも成功した例はちゃんと大切にしよう。

「失敗続きの中でアレだけは上手く出来た」と思えたことを忘れずにいよう。

その小さな成功をどうしたら上手く活かせるか模索して道を選択していけば、ゆっくりとだが、その灯火は次第に大きな光となっていく。

それこそが私たちの「自信」となるのだ。

失敗したことで納得できる

自己分析によって、自分にはおそらく向いてないだろうと仕事にあえて挑戦してみたことがある。

結果は想定通り失敗だった。

けれど私はそこまで傷つくことはなかった。

何も考えずにがむしゃらに挑戦していたのなら、おそらく精神的にも大きなダメージを受けていたに違いないが、事前に自分の適正を予測していたから「やっぱりこれは駄目だったか」とすんなり受け入れることができた。

失敗の可能性を予測できていたのに、なぜ敢えて挑戦したのか?
と問われると、それが未体験の仕事であり、挑戦できるタイミングがその時にしかなかったからだ。

予測はできても、実際にやってみなければわからないことはある。
私は可能性を残したままにしたくなかったのだ。

失敗したことで「自分には無理だ」と納得できれば、その選択肢はすっぱりと捨てて別の方法を模索することに専念できる。

しかし、少しでも可能性を残していると「もしかしたら…」という気持ちが出てきてしまう。
失敗をするなら早いほうがいいのだ。

若いほうが失敗しても挽回は容易だが、歳を取ってからの失敗は挽回が難しい。
失敗するなら今この時しかないと、そのときの私は判断したのである。

このことで自分への無力感は感じなかった。
「まあいっか」ぐらいのものである。

行動と結果に納得さえできれば失敗なんて恐るものではないのだ。

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自信を失わなければ何度でも挑戦できる

何度失敗しても1つの成功さえあればそれは自信としてあたなの胸に熱を宿す。

失敗だけに目を向けると「自分は何をやってもどうせ上手くいかなんだ」と挑戦することさえ諦めてしまう。

失敗の経験がなければ進むべき道も判断できない

失敗は苦しい。

失敗は辛い。

できれば経験したくない。

しかし、私たちは失敗を経験しないわけにはいかない。

限られた生存の道を見つけるには、失敗を糧に道を選ぶ必要があるからだ。

時には虎穴に入る選択をしなければならない場面もあるだろう。

そして失敗しても、その経験は無駄にはならない。

自分は何が出来ないのか、何ができるのか。

それを理解するために失敗を悩むのではなく、事実として受け入れればいい。

そうして私たちは前に進むことができるのだから。

平坦な道ではないけれど、私たちは前に進むことを諦めてはいけない。

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