「転職したけど仕事が合わなくてすぐ辞めてしまった…」それでも諦めずにもがいて生きろ!

勇気をふりしぼって挑戦する覚悟 仕事の悩み

私がこのブログで何度も書いていることだが、自分の適性と合っていない仕事をしても上手くいかない。
適性のない仕事に就くと手酷くやられてしまう。
それは私が自分自身が過去に仕事で数々の失敗をした結果、精神的にも肉体的にもダメージを受けながら学んだことだ。

「それ以降、もう適性のないことには絶対に手を出さないぞ!」と心に決めていたにもかかわらず、私はあるとき無謀にも適性がないと予想できているのに、あえてその仕事に挑戦してみた。

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試しに面白そうだと思った仕事を選んでみた

まず、どうして自分には適性がないと予想できるのに、その仕事に就いてみた理由だが、適性だけで選んだ仕事にやりがいも向上心も感じなくなったのがキッカケだ。

自分が停滞したまま何も成長していないことに気づいたのだ。

このままではすぐに行き詰まると予想した私は、大きな変化を求めて「新しい観点」で選んだ仕事に挑戦してみることにした。

その新しい観点というのが「自分が好きである」ことを基準とした選び方だった。
販売の仕事だとしたら、自分が日頃から興味や関心のあるものを扱っている店で働いくという具合である。

この際、賃金などの待遇面よりも、自分が好きなものを扱っているという点を最優先として決める。
そうして仕事に対して別の観点でアプローチをすれば、何か新しく得るものがあるかもしれないと私は考えたのだ。

まあ結果だけ言えば惨敗だったのだが(笑)

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あらかじめ覚悟していれば失敗も冷静に受け入れられる

さて、いざ働きだしてみて最初に思ったのが、
「やはり私の自己分析による予測はおおむね正しかった」ということだ。
これは私が提唱している「適正がない仕事をする失敗する」を自ら実証したことになる。

つまり、挑戦してみた仕事は適性が低かったのだ。
当然のように仕事は失敗の連続であった。
失敗すれば当然怒られるので、精神的にもダメージは受けたのだが、過去のように鬱になりそうな精神的ダメージではなかった。

なぜなら、自己分析によって、私は自分が不器用な人間であることを自覚していたからだ。
だから未体験の仕事が失敗する可能性も想定内だった。

もちろん、最初から失敗してもいいと思っていたわけではない。
自分でできる限りのことはしたつもりである。

それでもできなかったのだから、もう仕方がないと割り切るしかないのだ。

失敗のリスクがあったのにどうして挑戦したのか

向いてない可能性が高い仕事に、どうして自分から飛び込んだのか。
「それじゃあ自己分析で自分の適正を検討した意味がないじゃないか!」とおっしゃる人もいるだろう。
確かにその通りである、私はさんざん「適正のない仕事はするな」と言っていたにもかかわらず、敢えて挑戦したわけなので、言っていることと、やってることが違うと思われるのは仕方ない。

可能性があるならば、挑戦せずにはいられなかった

失敗する可能性が高い、けれども可能性は0ではなかった。
当然である、いくら分析をしたとしても未体験の領域なら、最終的にやってみなければどうなるか分からないのだから、可能性は低くても存在している。
予測はできても、やるかやらないかは本人次第なのだ。

今までの私なら、リスクのある選択は怖くて選べなかった。
それがいつの間にか「挑戦」できるようになっていたのは、自己分析で自分に向き合ったからだろう。

変な話だが、自分が器用になんでもやれる人間「ではない」と理解したからこそ挑戦できたのだと思う。

できないことに「納得」できるようになった

今までと違ったのは、仕事で失敗した後は「落ち込む」というのが、いつものパターンだったのに、そのときは、やっぱりダメだったんだなと「納得」したのだ。

失敗が原因で精神的に追い詰められてしまう人の多くは「こんな仕事もできないなんて、自分は駄目な人間だ」と自らを追い詰めてしまう。
昔の私もそうだったが、失敗を納得できるようになれば、失敗に対する恐怖で動けなくなることはなくなるのだ。

悪足掻き上等である

こちとら不器用な人間なわけなのだから、今更失敗の一つや二つで行く道引いてられないのである。

周りから「また辞めたのか」とか「どうせ次もすぐ辞める」と言われたとしても、それで足掻くのすら止めたら本当におしまいだ。

みっともなくても可能性があるかぎりあがき続けるのである。

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失敗することが終わりではない

失敗が嬉しい人間なんていない。
私も失敗すればへこむ。凄くへこむ。
「納得」できたとしても、失敗するのは嫌なものだ。
どうしても自己嫌悪してしまいそうになる。
しかし、心が再起不能にならない限り、また別の手段を考えて挑戦を繰り返せばいいと私は思う。

むしろ「向いてないと分かっているのに挑戦している自分偉い!」と褒めてやればいいのだ。
みんな、もっと自分をいたわって生きた方がいい。

挑戦したという事実が次の挑戦に導いてくれる

結局失敗してしまった挑戦だったが。
この事実が自分は「逃げなかった」と証明してくれる。
挑戦せずに逃げてしまうと、足がすくんで何もできなくなる。
逃げなければ足が止まることはない。

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転がる石には苔が生えぬ

失敗してもいいのだ、自分さえ無事なら転がりつづけることができる。
失敗を分析して、新しく発見したものを大事にしながら、また転がる
社会に上手く適応できない私たちのような人間は無様に見えたとしても転がるのを止めてはいけない。
転がるのをやめたとたん苔が生えてしまう。

失敗は終わりではないし、この先にゴールもない。
自分と向き合い続けてひたすら転がり続けるのだ。
疲れたらたまに休んで、また転がりだすのだ。

足掻き続ける限り心に苔が生えることはないのだから。

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