「努力ができない人」努力とは才能なのだろうか?

努力できない辛さ 考えかた

「頭ではやらなければいけないと分かっているのに、いざ実行しようとしても体が動いてくれない」
私も努力が苦手な人間なのでその気持ちがわかる。
しかし、努力を苦にしない人からすれば「努力できないというのは甘え」と思われてしまう。

「努力できる人」と「努力できない人」の違いはどこからくるのか?
努力できないのは本当に甘えなのか、それとも努力するには才能が必要なのか。

私自信が努力できない側の人間として考えたいと思う。

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人によって努力が「辛い」と「楽しい」に分かれる

大勢で同じ内容の練習をしていると「上達の早い人」と「上達の遅い人」で差が出てくる。
そして上達の早い人は練習すればするほど、自分が上手くなっている実感をもてるので練習が楽しく感じる。
つまり「努力すれば上手くなる」という経験が頭に刷り込まれているので、努力することを楽しめるのだ。

逆に上達の遅い人は、いくら練習をしてもなかなか上達しない。
せっかく頑張って練習しているのに上手くならないのだから、おもしろいはずがない。
つまり「努力しても結果がでない」という経験が頭にすりこまれてしまっているため、努力は「辛くてつまらない」という認識になってしまう。

まず努力に対する認識の段階で、人によって違いが生まれているのだ。

努力には個人差が影響する

努力できないことを「本人の甘え」で済ませてしまうのは、いささか乱暴というものだ。
努力に必要な「集中力」からしてその特徴には個人差がある

  • 長時間集中できる人
  • 短時間しか集中できない人
  • 特定のことにだけ集中力が凄い人
  • 興味のあることにしか集中できない人

集中力ひとつとっても、人によってこんなに特徴の差があるのだから、全員が同じように努力できるわけがないのだ。

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努力することを諦めてしまう原因

自分で決めて始めたことなのに、途中で継続を諦めてしまうことがある。
これも「成功の経験」による自信が不足しているせいで、モチベーションを保つことが困難になってしまうのだ。

  • 自分なりに頑張ってみたけど周りにはもっと凄い人が居ることを自覚してしまう。
  • そんな人達と競っていかなければいけないことに絶望感を感じてしまう。
  • 頑張ったけれどいつまでたっても結果がでないことに失望する。

人は希望があるから頑張れるのだ。
すでに努力の成功を知っている人間は、同じように頑張ればこの先に幸福がまっていることを知っている。
しかし、努力の成功を知らない人にとっては、暗い道を明り無しで進んでいるようなものだ。
先の見えない道を進むには相当に勇気や覚悟必要になる。
途中で歩みを止めてしまったとしても仕方がない。

最初はハードルを上げすぎず簡単なことから慣らしていく

例えば「字の練習」をするために、練習用のノートを使うとする。

最初に掲げた目標が「1日にノート1ページ分の練習をする」というのは、人によっては難しいものだ。
「1ページもやらないといけないのか」と考えてしまえば、ノートを広げるのすら億劫になる。

それなら最初は「1日に1行の練習をする」としたほうがいい。
これならばそこまでの決意がなくても実行できる。
それが習慣として根付いてくれば余裕も出てくるため「もう1行余分にやろうかな」と自発的に考えられるようになる。

小さな一歩が次第に大きな歩幅に変わるまでじっくりやることだ。

大きな成果を期待しすぎると危ない

努力が成果となって現れる時期も人によって違う。
最初から努力に対する成果を期待しすぎてしまうと、いつまでたっても何の成果も得られないことに失望して、努力することを諦めてしまう。

目の前の結果ではなく、その先にある成長した自分を目指すべきだ。

まずは努力を続けている自分を褒めるべきだ

成果が出なければ努力は無意味ということにはならない。
努力しているという事実は確かに残るのだ。
それがこの先でも「努力を続けられる」という自信になる。

だから最初は成果がでなくても、自分はよく頑張っていると褒めてあげればいい。
自分に対する気遣いを忘れてはいけない。

途中で諦めると自分に自信が持てなくなる

成果がなかなか出なくても、少しずつでもいいから努力は続けるべきなのだ。

なぜなら、途中で諦めてしまうと、次に努力が必要にな場面で「だけど、あのときも自分は諦めたし、今回も続かないんじゃないだろうか」と自分を疑ってしまう。

自分には才能がない、努力しても意味がない、何もできない。
本能が弱気になってしまうと、いくら理性が頑張れと応援しても気持ちが縮こまってしまう。

努力するのに一番重要な要素は「自分を信じる」ことである。
それが無くなってしまえば人は前に進めなくなってしまうのだ。

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「努力に才能は関係する」しかしそれが全てではない

ここまでの考察で、努力への適性、言い換えれば「努力する才能」というのは存在すると私は思う。
才能面で他人よりも努力をするのが難しい人は確かにいるのだ。
しかし、だからといって、その人には努力ができないとは思わない
他の人に比べると歩みは遅く、成果も出にくいかもしれないが、一歩ずつ進んでいくことなら誰にでもできるはずだ。

「今」歩いている道は「次」の道に続いている

もしも、今の努力を途中で諦めたとしよう。
そしてまた次に別の努力を始めたとしたら、今まで歩いてきた道はどうなるだろう?
ヒョイと横に飛び移れば、過去と切り離された新しい道を歩けるのか?
そんな事はありえない。
道は分岐しながらも途中で途切れる事はない。
道は繋がり続けるものなのだ。

過去の努力は未来に繋がる

もう終わりだと諦めればその挑戦は終わる、しかし生きていれば道はどこまでも続いていく。
そうすればまた次の努力に挑戦しなければいけない。
そして今までどうやって歩いて来たかが影響してくる。

諦める事になれてしまえば「どうせ上手くいかない」「やるだけ無駄」だと言って挑戦したところでまたすぐに諦めてしまう癖がついてしまう。

だからもし、いま努力ができなくて悩んでいる人も、最初は小さな一歩でいいから自分の歩幅で歩き出してほしい。

その一歩が、ずっと先の未来へと続いていると信じてほしい。

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