他人と価値観が合わず理解されない?人と違っていいのだ!

人と価値観の違う自分 人間関係

人の話を聞いても全く共感できない。
周りがもてはやしているアイドルや俳優に興味がわかない。
みんながスポーツ観戦で盛り上がっているときも自分だけは冷めたままだ。

「もしかしたら自分の感覚がおかしいのか?」

周りとの違いを感じて、自分の性格や考え方を疑うのは軽率である。

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違う価値観を否定したくなる人の性質

日常的な行為でも人によって考えかたは様々だ。

<たとえば食事に対する考え方>

食事に嗜好を求める人は、毎日のランチをどうするかよく考える。
料理のおいしい店、新規オープンした店、ときには人気店に並ぶことも厭わない。

食事に頓着せず、お腹を満たせればよいと考える人は、時間のかからないファーストフードやコンビニで済ませようとする。

この2択を見た人は、どちらか片方に共感して、逆にもう一方へは反感を覚えるだろう。

こんなのは単なる好みであって、どちらが良い悪いという問題ではない。
しかし、自分の価値観に合わない選択に、反感を感じるのが人間だ。

別の価値観に自分を否定されたように感じる

違う価値観を否定したくなるのは、自分の価値観が自分自身を形成しているからだ。

違う価値観を認めてしまえば、自分が否定されたように感じるから、自分が正しいことを証明するために相手を否定したがるのだ。

ただ単に相手の価値観が違ったとして「そういう人もいるさ」と言えばいいだけなのに、多様性を受け入れられない人にはそれが困難なのである。

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価値観とは趣味であり思想であり信仰でもある

自分の信じる正しさが価値観であり、信じるとは生き方そのものである。
自分のやることが「正しい」自分自信で肯定しなければ、人は動けない。
価値観は人のあり方に根ざすものだ。

些細な喧嘩から大規模な争いまで

夫婦で食べ物の好みが違うと喧嘩になってしまうことがある。
この「食べ物の好み」だって小さな価値観である。
これぐらいなら、相手を許容できるが(世の中にはこれぐらいでも許容できない人がいるのだが)

これが、趣味、政治、宗教と規模が拡大してけば、最悪戦争だって怒ってしまう。
それほどに価値観の違いとは人にとって受け入れがたいものなのだ。

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正しい価値観など存在しない

価値観に正しさなど初めから存在しないのだ。
あるとしたら「数の多い価値観」である。
規模の大小はあれど、どこでもそうやって価値観に優劣をつけたがっている。

マイノリティな価値観は生きづらい

たとえば「彼女がほしいですか?」とい質問に、「ほしくない」と答えれば変わり者扱いされる。

なぜかを問えば「それが普通だから」と言われるが、そもそも普通とはなんだ?
普通とは「数の多い価値観」である。
数が多いだけ、たったそれだけの話なのに、たったそれだけでは済まない問題だ。

グループの中で一人だけ違う価値観をもてば除け者にされてしまうだろう。

しかし、だからといって自分の価値観をそうコロコロと変えられるものではない、すでに記述したとおり、価値観とは自分自信を形成しているものだからだ。

コロコロ変わっていては自分じゃないではないか。

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他人の価値観を受け入れた人は昇華する

「自分とは違うが、こういう生き方の人もいる」

なかなか難しいことだが、他人を決めつけることをやめることで、自分もまた他人から開放される。

相手を否定しなければ自分を保てない人間は脆い。
ただ受け入れるだけで心の縛りがなくなり、より自分の価値観で自由に生きられるようになる。

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自分の価値観を手放す必要はない

世間では「人間は一人では生きていけない」と言われているが、何も常に誰かとべったりくっついて生きる必要はないし、合わない人と無理に合わせ付き合う理由もない。

人とは違う感性を持っていたとしても、自分の価値観がおかしいと悩む必要はないのだ。

確かに大勢の人々が夢中になっているものに関心が湧かないかもれしない。
しかし、周りと同じものを好きになる必要はない。
周りが見向きしないようなものでも、自分が好きならそれでいいのだ。

他人を否定することも無理に肯定する必要もない。
そういう人もいて、自分のような人間もいる。

広く見渡せばただの「すきずき」だし、狭い視野で見れば「価値観の不一致」になる。

ただそれだけの話なのだ。

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